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水の下の石
みずのしたのいし
作品ID57752
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「新武道」1944(昭和19)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2025-04-23 / 2025-04-20
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「おそろしく暗いな……如法闇夜とはこんな晩のことをいうのだろうな」列の五六人さきでそう云うこえがした、だがそれに答える者はなかった。二列になって泥濘を踏んでゆく百余人の武者草鞋の音だけが、単調な、飽き飽きするくらいおなじ歩度で少しのとぎれもなく続いている、濃い闇をこめて降る雨は霧のように粒がこまかくて、甲冑や具足の隙間から浸みこみ、膚をつたって骨までじっとり濡らすかと思える。三日二夜ぶっとおしに、山を越え峡谷をわけての強行で、たれもかれも疲れきっていた、口をきくのもたいぎだった。われとひとのわかちもない、単調な、気のめいるような足音、粘りつくような泥濘を踏むその足音にひきずられる感じで、みんな黙々とただ歩くことに専念した。「……だが如法闇夜という言葉はどうもおかしい」さっきの声の主がまたそう云った、「法の如く暗いというと、法というものがもともと暗闇だということになる、法が闇だなどということはない、そうだろう杉原、どうだ、きさまそう思わないか……」しかしやはり返辞はない、加行小弥太は肩の銃をゆりあげながら、――安倍大七も疲れてきたな、そう思ってふと微笑した。合戦のとき形勢が悪くなるとか、永陣で退屈しはじめるとかすると、まるでつかぬことを話しだすのが大七のきまりだった、少しまえ十人がしらにとりたてられてからは暫くその癖も出なかったが、今ひさしぶりに用もないことを云いだしたのは、かれも相当こたえてきたのに違いない、意地の強いかれの顔が見えるようで、小弥太はもういちどそっと微笑した。それから五十歩ほどもいったであろうか、安倍大七がまたなにか云いだそうとしたとき、とつぜん列の先のほうでからからとはげしい物音が起った、それは鉄片や板きれや鈴などの打ちあうけたたましい音で、しかもその音が音を呼びつつ、糸を引くように左右へ遠くからからと鳴り伝わっていった、百余人の兵たちは愕然とわれにかえった、「鳴子だ……」という囁きが前のほうから聞え、列の動きがはたと停った、敵の張ってある鳴子にぶっつかったのだ、――もうそんなに敵の間近に来ていたのか、そう思ってみんな身をひきしめ、鉄砲組は銃を、槍組は槍をひしと執り直した。「伏せろ」という命令が聞えた、「音をたてるな、ゆるすまでは動いてはならん……」それはこの隊の旗がしら竹沢図書助の声だった、そして兵たちが狭い泥濘の道へ膝をおろす間もなく、前方の闇をつんざいて閃光がはしり、だだーん、だだーんと、銃声がとどろきあがった、距離は思いのほかに近く、叢林をつらぬいてしきりに弾丸が飛んだ、位置がわからないとみえてめくら射ちだったが、隊列の中へもかなり流弾が来て三人ばかり軽傷を負った者がある。「……畜生、斬り込んで呉れるぞ」杉原伝一郎のくやしそうな呟きが聞えた。伝一郎は安倍大七とおなじ十人がしらで、先鋒槍組を指揮させては鳥居家でも指折りの者だった…

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