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めおと鎧
めおとよろい
作品ID57757
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「講談雑誌」博文館 、1943(昭和18)年1月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2025-09-01 / 2025-09-01
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 香田孫兵衛が飛竜を斬ったのは、「犬」といういきものが嫌いだったからではない。どちらかといえばかれは犬は好きであった。世間にはよく犬とさえみれば無差別に呼びかけたり頭をなでたりする人がいるが、それ程ではないにしても、好きなほうではあった。しかし飛竜は、かれの好きな犬の部類にははいらなかった。あまりに大きすぎるし、眼つきがわるい。態度が傲慢だった。人を人とも思わぬつらつきで、――おまえたちの弱みはみんな知っているぞ、とでもいうような風をする。権門に依存する人間にはよくある風だ。そして、じっさい飛竜は、権門に媚びるための存在だった。つまり、菊岡与吉郎が、ご主君浅野幸長のおためになるよう、石田三成に贈るしたごころで飼い育てていたものである。与吉郎は孫兵衛には義兄に当っていた。かれの妻の兄である。そのしたになお弥五郎という弟がいて、これはなかなかの武弁者なので気が合ったけれど、義兄とはときが経つほど疎隔するばかりだった。主君のおためにというのはよいが、権門に物を贈るという根性はさむらいとして屈辱である。しかも与吉郎の場合には、あわよくばご主君をさし越えておのれが治部少輔の気にいろうとするようすさえあった。太政大臣秀吉が薨じて一年、豊臣氏の権勢の中枢はいま治部少輔三成の手にあるが如くみえる。これに対して徳川家康がようやくその大きい存在を示しはじめていたし、この二者の対立は心ある人々の眼にかなりはっきりしたものになりつつあったが、めのまえの権勢きりみえない人たちはしきりに治部少輔の門へ出入りした。与吉郎もそのたぐいである。それが孫兵衛にはよくわかっていた。――なんとかしなくてはいけない。折にふれては、そう考えていたのである。その「なんとか」がつまり飛竜を斬ることになったのだ。
 それは初めて霜のおりた朝だった。まだ暗いうちに備前島のほうへあるきにでた孫兵衛が、屋敷へ戻ろうとして京橋のほうへ向ってゆくと、菊岡の家の足軽で権六という者が、飛竜をつれてやって来るのと会った。まえにも記したように犢ほどもある大きなやつで、太い綱を襷のようにかけている。その綱の端を権六がつかんでいるわけだが、犬を曳いているというよりは、犬に曳かれている恰好だった。――なんという不甲斐ないざまだ。まず権六を見てそう思った。つぎに犬を見ると、こいつはまたいかにも人を見くだした眼つきで、うさん臭そうにあたりをねめまわしながら悠々とあるいている、「うん、おれが治部さまのお手飼いになったら、おまえたちにも出世のみちをひらいてやるよ」といった風な態度だった。孫兵衛はむらむらと腹がたってきた。それで会釈をしながら近寄って来る権六に、「おい、ちょっとその綱をはなしてみろ」と云った。主人の義弟にあたるのでよく知っている相手だし、まさか斬られようとは考えなかったので、権六は綱をはなした。犬はそのままあるいてきた…

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