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やぶからし
やぶからし
作品ID57760
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十八巻 ちいさこべ・落葉の隣り」 新潮社
1982(昭和57)年10月25日
初出「週刊朝日増刊」朝日新聞社、1959(昭和34)年7月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-05-10 / 2021-04-27
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 祝言の夜は雪になった。その数日間にあったこまかいことは殆んどおぼえていないが、盃の済んだあとまもなく、客の誰かが「とうとう雪になった」と云い、それから、宴席がひときわ賑やかになったことと、その雪が自分の将来を祝福してくれるように思えたこととは、いまでも、いろいろな意味で、鮮明に思いだすことができる。
 ――ようやくおちつく場所ができた。
 わたくしは綿帽子の中でそう思った。
 ――これが自分の生涯を託する家だ。
 そのほかのことはなにも考えなかった。人にはおませな者とおくてな者がある、わたくしはおくての中でもおくてだったらしい。もう十六歳にもなっていたのに、結婚ということについてはなにも知らず、ただ自分の家ができたことと、化粧の間で会った細貝家の両親がたいそういい方で、小さいじぶんからあこがれていた本当の父母のように思えたことだけで、あたたかいやすらぎと幸福感にひたっていた。
 わたくしには家がなく、親もきょうだいもなかった。さとの常盤家には父母と兄や姉たちがいる。わたくしは常盤家の末娘として育って来たが、実の子ではなかった。本当の父は杉守梓といい、萩原宗固派の国学をまなんで、藩校の教官をしていた。母の千波も和歌の達者だったそうであるが、わたくしの四歳のときどちらも病死したとのことで、お二人の顔かたちさえ記憶に残ってはいない。子供はわたくし一人だったから、杉守の家はそれで絶え、わたくしは母かたの遠縁に当る常盤家へ引取られたのであった。
 ――これはわたくしの家ではない。
 九歳の年の秋ごろから、わたくしはそんなことを考えるようになった。この父母も兄や姉たちも、みんな他人なのだ。
 ――本当の父母はよそにいる。
 自分の本当の家もどこかよそにある。そんなふうに思いだしたのは、自分の身の上を知るまえのことで、決して自分だけが継子あつかいにされたとか、冷淡にされたとかいうわけではない。むしろわたくしは大切にされたほうだとも思うくらいだ。ではどうしてそんなことを考えたのだろうか。おそらくわたくしの性分のためであろうが、常盤家のきびしい家風と、家族のあいだのふしぎなひややかさも、原因の一つになっていたように思う。
 常盤家は三百石ばかりの大御番で、夫妻のあいだに一男二女があり、下の娘がわたくしより七つも年上であった。育ててもらった家のことを悪く云うように聞えては困るし、またその必要もないから、詳しいことは省略するが、薙町にあるその家は、いつもひっそりとして、氷室のように湿っぽく、暗く、そして冷たかった。早朝から寝るまでのあいだ、養父の登城、下城はいうまでもなく、こまごました家事雑用にいたるまで、その刻限や順序がきちんときまっていて、ゆとりとかうるおいなどというもののはいる余地は少しもなかった。家族の関係も同じように、夫妻のあいだも兄妹の仲も、他人の集まりのよう…

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