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山だち問答
やまだちもんどう
作品ID57761
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十巻 晩秋・野分」 新潮社
1983(昭和58)年8月25日
初出「講談雑誌」博文館、1946(昭和21)年6月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2021-12-11 / 2021-11-27
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 追手門を出ると、遠い空でかみなりが鳴りだした。午さがりからむしていたし、雲あしがばかに早くなったので、これはあぶないなと思っていると、桜の馬場をぬけたところでとうとう降りだした。郡玄一郎はちょっとあたりを見まわしたが、向うに昌光寺の塔があるのをみつけてそっちへ急いだ。
 石段を登るところでざっと来た。そして彼が山門へ入るのといっしょに、侍女をつれた武家の娘がうしろから駈けこんで来た。玄一郎はそちらを見ないようにしながら、濡れた頭や肩裾を拭いた。……いちめん雲に掩われて暗くなった空から、斜めに銀の糸を張ったように落ちてくる大粒の雨は、激しい音をたてて地面を叩き、霧のように飛沫をあげた。道を隔てた向うは矢竹蔵の長い土塀になっているのだが、あまり強い降りでそれさえ今は見えなかった。
「困ったねえこれは」とうしろで娘の声がした、「……おまえが通り雨だと云うから来てしまったのだけれど、これではちょっとあがりそうもないじゃないか、こんなことなら待っているか傘を持って来るんだった」
 ひどく権高な調子だし、言葉つきがまるで男のものだった。玄一郎はわれ知らずふり返った。娘はそれを予期していたらしい、そのくせそ知らぬ風を装っているのがよくわかった。年はまだ十七くらいだろう、うわ背のある肉付ゆたかな体で、横顔だからよくはわからないが、線のはっきりした肯かぬ気らしい眉つき口もとをしている、かたくひき緊った頬と、くくれたような顎に特徴があった。
「宗田でも気が利かないねえ」娘は玄一郎を無視した態度で続けた、「……私が途中で降られているくらいわかるだろうに、雨具を持たせてよこす気にもならないのかしら、こうしてぼんやり雨宿りをしているくらいばかげたかたちはないよ」
 これはたいへんな者だと、玄一郎は驚いた。
 宗田といえばこの大垣藩の老職を勤める戸田采女正を指す、戸田に三家あるので、宗田という処に屋敷のある采女正をそういうのだが、宗田と呼捨てにできるのは国家老だけの筈だ、たとえ公けの席でないにしてもそこにげんざい家中の侍がいるし、然もまだ年若の少女の身で平然とそう呼ぶのはなみ外れて聞える、――いったい誰のむすめだろう、玄一郎はもういちどそっちを見た。
「ひどい飛沫じゃないか」と、娘は片手で裾前をつまみながら云った、「……こうしていては雨をよけても飛沫で濡れてしまう、おまえ宗田までいって雨具を借りておいで」
 侍女は「はい」と答えたが、どしゃ降りの空を見あげて、ちょっと足が出せないようすだった。娘はまったく無関心に、「なにをしているの」と促す、侍女は思いきったように両方の袖を頭の上へ重ねてとびだそうとした。玄一郎は見かねて、「ちょっとお待ち」と呼びかけ、着ていた羽折をぬいで侍女の手へ投げ与えた。
「それを冠っておいで、幾らか凌ぎにはなるだろう、いや遠慮はいらない持っておいで」
「…

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