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ゆうれい貸屋
ゆうれいかしや
作品ID57766
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二十三巻 雨あがる・竹柏記」 新潮社
1983(昭和58)年11月25日
初出「講談雑誌」博文館、1950(昭和25)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2021-03-18 / 2021-02-26
長さの目安約 44 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 怠け者にも云えば理はあり

 江戸京橋炭屋河岸の「やんぱち長屋」という裏店に、桶屋の弥六という者が住んでいた。弥六は怠け者であった。それも大抵なくらいのものではない、人を愚する程度でもない。もっとずっとひどい怠け者であった。
「あいつはしようがねえ、弥六のやつは」
 家主の平作老人は歎息し次のように折紙を付けた。
「ああいうのを、底抜けってえんだ」
 これに対して反対する者は一人もなかった。そればかりでなく「底抜け」という折紙は、そのまま弥六のものになった。
 弥六の父は弥八といって、これは評判の働き者であった。やはり桶屋職人で、酒も煙草も賭博も遊蕩も嫌いであり、食うのと寝る時間のほかは働きどおしに働いた。弥八が四十六で死んだとき、弥六は二十一であった。律気な父親の仕込みで、彼も桶屋としてはかなりな腕をもっていたし、親の顧客をそっくり引継いだし、母親は丈夫でいたしというわけで、生活はまあまあ楽であった。
 彼は二十四で嫁を貰った。すると母親が死んだ。まことにあっけないもので、三人で晩飯を食べているとき、彼女はとつぜん茶碗と箸を抛りだして、仰反さまにひっくら返った。ふざけているようにもみえたが、ともかくも寝床を敷いて寝かした。彼女は夜中まで鼾きをかいて眠っていて、それから眼をさまして、「ぼんのくぼで、蟻が行列をやっている」
 などと云いだした。追っぱらってくれと云うので、よく見たが蟻などはいなかった。
「いないことはないよ、よく見ておくれよ」
 母親は子供のむずかるようにせがんだ。
「ほらほら、ぼんのくぼから頭へ行列してるじゃないか、ほら髪毛の中へぞろぞろはいってゆくよ、ああいやだ、追っぱらっとくれよ、額のほうまで行列して来るよ」
 そしてほどなく、うーんと唸った。気持のよさそうな、ああいい心持だというような唸り方であった。それが死ぬ合図であった。
 弥六はもとから、勤勉とはいえなかった。だが母親が亡くなると、初めて本性を現わした。仕事をすれば慥かな腕をみせるが、だんだん仕事をしなくなっていった。そうかといって、道楽をするわけでもなかった。父親と違って彼は酒を飲むし煙草もすう。おんなあそびも避けはしない。だが、無ければ無いでも済んだ。
「浮かない顔をしてるわね、あんた、お酒でも買って来ようか」
 女房がそう云うと、彼は欠伸をする。
「うん、酒か、そうさな」そしてだるそうにどこかを掻いて云う「まあそんなことにでもするか」
 酒を買って来て、燗をして出してやれば、出してやるだけ飲む。黙って飯にすれば、彼は黙って飯を食う。もう一本つけろとか、これでやめようなどと云うことは決してない。煙草も同様であり、遊蕩も同様であった。
「仕事はどうするのさ、仕事をしてくれなくちゃ困るじゃないか、伊勢屋さんからせっつかれて、あたしゃ返辞のしようがありゃしない、いったいあんたどう…

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