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義経の女
よしつねのむすめ
作品ID57782
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第十九巻 蕭々十三年・水戸梅譜」 新潮社
1983(昭和58)年10月25日
初出「少女之友」実業之日本社、1943(昭和18)年12月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者北川松生
公開 / 更新2026-01-06 / 2026-01-02
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 そのとき千珠は、屋形の廂にいて、京から来た文を読んでいた。建久二年の、正月もまだ中ごろのことだったが、伊豆のくには暖かくて、簀子縁のさきにある蔀格子から、やわらかい午後の光といっしょに、さかりの梅の香が噎せるほどもよく薫ってきた。文のぬしは千珠にとっては義理の姉にあたり、讃岐といって、二条院に仕えているひとだった。歌人としても名だかいひとだけに、やさしく巧みな手つきで「去年十一月に都へのぼった頼朝の、参内の儀のゆかしく美しかった」ことや、「その供をしてのぼった兄の駿河守(広綱)にひさびさで逢えたよろこび」などを眼に見るように書きつらねたうえ「つたないもので恥かしいけれど」といって五六首の歌が添えてあった。千珠はそこまで読んできて、ふとその歌の中の一首につよく心をひきつけられた、それはふしぎなほど心をひく歌だったので、われ知らずそっと口のなかで繰り返してみた。
あと絶えて浅茅が末になりにけりたのめし宿の庭の白露
 いかにもはかなく寂しげな詠みぶりである。口ずさんでいると、荒涼とした秋の野末に、たった独りゆき暮れたような、かなしいたよりない気持になって、千珠は思わずほっと太息をついた。そしてそのまま、内庭のほうへ眼をやってぼんやりしていると、中門のあたりでにわかに騒がしい物音が聞え、あわただしく廊を踏んで良人の有綱がはいって来た。つねには起ち居のおだやかな良人なのに、はいって来たようすも乱がわしく、顔つきもいくらか蒼ざめているので、千珠はなにも聞かぬうちから胸がおどった。
「千珠、ことができた」と有綱は低いこえで云った、「河越城へにわかに鎌倉から兵が寄せて、重頼どのをお討ち申したというぞ」
 千珠の額がさっと蒼くなった、それはまことでございますか、そう訊こうとしたけれど、舌が硬ばってしまったし、訊くまでもないということがすぐに頭へひらめいた。
「急ぎの使者で、くわしいことがわからないから、すぐようすをさぐらせに人をやった、鎌倉へも使をだしたが、伊予守どののゆかりになってお討たれなすったとすれば……」
 そこまで云いかけて、有綱はあとをつづけることができなくなり、「わが身もそなたも、心をきめておかなければ」とつぶやくように云って、対屋のほうへ出ていってしまった。
 いよいよそのときが来た。千珠はそう思った。二年まえ、文治五年の夏に、伊予守義経がみちのくの衣川で討たれたときから、こうした日が来るのではないかと案じていた。そのときが来たのである。河越太郎重頼は義経の舅にあたる、重頼の女が義経の妻になっていたのだ、千珠は義経の女である、舅が討たれたとすれば、女である千珠が無事である筈はない、良人の云うとおりで、まさしく心をきめなければならぬときだ。みぐるしいふるまいをしてはいけない、千珠はそう自分をたしなめながら、しずかに立って身舎へはいった。
 今にもと思っていたが…

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