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![]() もみノきはのこった |
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作品ID | 57788 |
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副題 | 01 第一部 01 だいいちぶ |
著者 | 山本 周五郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山本周五郎全集第九巻 樅ノ木は残った(上)」 新潮社 1982(昭和57)年11月25日 |
初出 | 「日本経済新聞」1954(昭和29)年7月20日~1955(昭和30)年4月21日 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 富田晶子 |
公開 / 更新 | 2018-02-14 / 2018-09-21 |
長さの目安 | 約 304 ページ(500字/頁で計算) |
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序の章
万治三年七月十八日。
幕府の老中から通知があって、伊達陸奥守の一族伊達兵部少輔、同じく宿老の大条兵庫、茂庭周防、片倉小十郎、原田甲斐。そして、伊達家の親族に当る立花飛騨守ら六人が、老中酒井雅楽頭の邸へ出頭した。
酒井邸には雅楽頭のほかに、同じく老中の阿部豊後守と稲葉美濃守が列坐していて、左のような申し渡しがあった。
「伊達むつの守、かねがね不作法の儀、上聞に達し、不届におぼしめさる、よってまず逼塞まかりあるべく、跡式の儀はかさねて仰せいださるべし」
こういう意味の譴責であったが、
「但し堀ざらいの普請はつづけるように」
ということが付け加えられた。
堀ざらいとは、その年の三月から幕府の命令で、伊達家が担当していた、小石川堀の修築工事をさすものである。
申し渡しのあと、太田摂津守が上使を命ぜられ、立花飛騨守と伊達兵部との三人で、伊達家の上屋敷へゆき、陸奥守綱宗にその旨を伝えた。
綱宗はすぐに品川の下屋敷へ移った。
明くる七月十九日の夜。
伊達家の浜屋敷の内にある坂本八郎左衛門の住居へ、二人の訪問者があった。坂本は浪人から取立てられた者で、食禄は六百石、目付役を勤めていた。
坂本は二人に会った。
二人は密談があるようによそおい隙をみて坂本に襲いかかった。坂本は抜きあわせるひまもなく、その場で即死した。二人は坂本の家人に、「上意討である」と云って、たち去った。
同じ夜、同じ時刻。
やはり浜屋敷の内にある、渡辺九郎左衛門の住居に、二人の訪問者があった。渡辺も浪人から取立てられた者で、疋田流の槍の名手であり、刀法にも非凡な腕があった。食禄は二百四十石、家中の士に槍術を教えていた。
渡辺は会うのを拒んだ。
訪問したのは渡辺金兵衛と渡辺七兵衛といい、二人とも小人頭であるが、どちらも親しいつきあいはないし、そんな時刻に訪問されるような、用件があるとも思えなかった。
「いや、急用があるのです」二人は取次の者に云った。
「こんど御門札を新らしくするので、印鑑をいただきたいのです、明朝から新らしい御門札になるので、ぜひとも今夜のうちに印鑑をいただかなければならないのです」
まえの日に、藩主が幕府から逼塞を命ぜられて、品川の下屋敷へ移った。しぜん門札の更新ということもあり得るので、渡辺は二人に会うことにした。
常着の上へ袴をはき、脇差だけ差し、印鑑の入った鹿皮の小さな袋を持って、渡辺九郎左衛門は客間へ出ていった。二人の訪問者は、膝の前に帳面ようの物を置いて、坐っていた。渡辺はかれらを見たが、二人のようすに変ったところはなかった。
「――御苦労」と云って渡辺は坐った。
「夜分にあがりまして」と渡辺金兵衛が云った。そして七兵衛と共に両手をついて、低く辞儀をした。
渡辺は袋を膝の上に置いた。低く辞儀をした二人の右手は、それぞれの刀をつか…