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日本婦道記
にほんふどうき
作品ID57816
副題二十三年
にじゅうさんねん
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「山本周五郎全集第二巻 日本婦道記・柳橋物語」 新潮社
1981(昭和56)年9月15日
初出「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井和郎
公開 / 更新2019-12-17 / 2019-11-24
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「いやそうではない」新沼靱負はしずかに首を振った、「……おかやに過失があったとか、役に立たぬなどというわけでは決してない、事情さえ許せばいて貰いたいのだ。隠さずに云えばいま出てゆかれてはこちらで困るくらいなのだから」
「それでお暇が出るというのはどういうわけでございましょうか」律義に坐った膝をいっそう固くしながら多助はこう云った、「……あちらで今よく話してみたのですが妹はただ泣くばかりで、悪い処はどのようにも直して御奉公します、お暇だけはどうか勘弁して頂けますように、兄さんからもお詫を申上げて下さい、こう申しまして、どうしても家へは帰らぬと云い張っているのでございます」
「仔細はよく話したのだ、然しまるで聞分けがないので其方に来て貰ったのだが、実はこんど此処をひき払って伊予の松山へ参ることになったのだ」
 新沼靱負は会津蒲生家の家臣で、御蔵奉行に属し、食禄二百石あまりで槍刀預という役を勤めていた。亡き父の郷左衛門は偏屈にちかいほど古武士的な人で、善い意味にも余り善くない意味にも多くの逸話を遣しているが、靱負はごく温厚な、まるで父とは反対の性質をもっていた。これというぬきんじた才能も無い代りに、まじめで謹直なところが上からも下からも買われて、平凡ながら極めて安穏な年月を過して来た。六年まえ二十五歳で結婚し、臣之助という長男をあげてから、去年の秋二男の牧二郎の生れるまでは、ずっとその安穏な生活が続いたのである。……然し二男を産むと間もなく、妻のみぎはが病みついたのをきっかけのように、その平安無事な生活はがらがらと崩れ始めた。第一は主家の改易であった、その年、つまり寛永四年正月、下野守忠郷が二十五歳で病歿すると、嗣子の無いことが原因で会津六十万石は取潰しとなった。家中の動揺と混乱はひじょうなものだったが、幸い世を騒がすような紛擾も起こらず、多くの者が或いは志す寄辺を頼り、また他家へ仕官したりして、思い思いに城下を離散した。然しこういうなかで、別にひとつの希望をもつ少数の人びとがあった。それは亡き下野守の弟に当る中務大輔忠知が、伊予のくに松山に二十万石で蒲生の家系を立てている、詰り会津の支封ともいうべきその松山藩に召抱えられたい、例え身分は軽くとも主続きの蒲生家に仕えたいというのだ。新沼靱負もそのなかの一人だった、そしてその仲間の人びとと一緒に、ひとまず会津城下の郊外に住居を移して時節を待つことにした。……病みついていた妻は新らしい住居に移ってからも床を離れることができず、夏のはじめには医者から恢復の望みのないことを告げられた。どんなに靱負のまいったことだろう。生れて十月にも満たない牧二郎はよく夜泣きをした。彼はなかなか泣きやまない嬰児を抱きあげ、馴れぬ子守唄を歌いながら、仄暗い行燈の光の下にうつらうつらまどろんでいる病床の妻の窶れはてた寝顔を見ては、息苦しい…

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