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袈裟の良人
けさのりょうじん
作品ID57848
著者菊池 寛
文字遣い旧字旧仮名
底本 「袈裟の良人」 金星堂
1923(大正12)年2月25日
初出「婦女界 第二十七卷第一號」婦女界社、1923(大正12)年1月1日
入力者あまの
校正者友理
公開 / 更新2023-03-06 / 2023-03-03
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

人物
渡邊左衛門尉渡。
その妻袈裟。
遠藤武者盛遠。

時代
平家物語の時代。

情景
朧月夜の春の宵。月は、まだ圓ではないが、花は既に爛[#挿絵]と咲きみだれてゐる。東山を、月光の裡にのぞむ五條鴨の河原に近き渡邊渡の邸の寢殿。花を見るためか、月を見るためか、簾は掲げられてゐる。赤き短檠の光に、主人の渡と妻の袈裟とがしめやかに向ひ合つて居る。袈裟は、年十六。輝くが如き美貌。

第一齣
  ――渡と袈裟――
渡。今宵は、そなたの心づくしの肴で、酒も一入身にしみるわ。もう早蕨が、萠え始めたと見えるな。
袈裟。はい。今日女の童どもが、東山で折つて參つたのでござります。
渡。やがて、春の盛りぢや。去年は、思はざる雨つゞきで、嵯峨も交野の櫻も見ずに過したが、今年は屹度折を見て、そなたを伴うて得させよう。
袈裟。はい。
渡。公達や姫が出來ると、もう心のまゝの遊山も出來ぬものぢや。今の裡、そなたもわれも若い裡、今日も明日もと、櫻かざして暮して置かうよ。はああ。
袈裟。(寂しく微笑す)…………。
渡。(袈裟が沈んでゐるのに、ふと氣が付く)……
渡。そなたは、何ぞ氣にかゝることがあるのではないか。
袈裟。いゝえ。ござりませぬ。
渡。なければよいが、何となく沈んで見えるなう。身に障りでもあるのか。
袈裟。いゝえ。
渡。そなたは、今日午後、衣川の母御前を訪ねたやうぢやが、母御前に、何ぞ病氣の沙汰でもあつたのか。
袈裟。いゝえ。いつものやうに、健かでござりました。
渡。それでは、何ぞ母御前から、心にかゝることを云はれたのではないか。
袈裟。(默つてゐる)…………。
渡。屹度、さうであらう。でなければ、いつもは雲雀のやうに、快活なそなたが、このやうに沈む筈がない。伯母御前からの話の仔細は、何うぢや。話してみい。
袈裟。(默つてゐる)…………。
渡。何も隱すには及ぶまい。身内の少いこの渡には、衣川殿はたつた一人の母御ぢや。常日頃疎略には思うてゐぬ。母御前から話の仔細と云ふのは、何ぢや。話して見い、袈裟!
袈裟。(しばらく默つてゐた後)別の仔細はござりませぬ。ただ、三月ばかり打ち絶えてゐましたので、ひたすらに顏が見たくて招んだと、かやうに申して居りました。
渡。(かすかに笑を洩して)はあ、それでは、渡の取越苦勞ぢやつたな。そなたの顏が、少しでも曇ると、俺の心も直ぐ曇るのぢや。十三のいたいけなそなたと契り合うてから、この年月、そなたが、妻のやうになつかしければ、妹のやうに子のやうに、可愛く覺ゆるぞ。かまへて、氣を使うて、面やつれすな。一人で氣を使うて、思ひわづらふな。なにごとにまれ! 俺に計うてくれ!
袈裟。お言葉のほど、うれしう存じます(袈裟、涙をすゝる)
渡。何ぢや/\。其方は、何が悲しうて涙をうかめてゐるのぢや。云へ! 仔細を。はて! さて氣がかりな。
袈裟。何の仔細がござりませう。…

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