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孤島の鬼
ことうのおに
作品ID57849
著者江戸川 乱歩
文字遣い新字新仮名
底本 「孤島の鬼 江戸川乱歩ベストセレクション⑦」 角川ホラー文庫、角川書店
2009(平成21)年7月25日
初出「朝日」博文館、1929(昭和4)年1月号~1930(昭和5)年2月号
入力者岡村和彦
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2020-10-21 / 2020-09-30
長さの目安約 368 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

はしがき

 私はまだ三十にもならぬに、濃い髪の毛が、一本も残らず真白になっている。この様な不思議な人間が外にあろうか。嘗て白頭宰相と云われた人にも劣らぬ見事な綿帽子が、若い私の頭上にかぶさっているのだ。私の身の上を知らぬ人は、私に会うと第一に私の頭に不審の目を向ける。無遠慮な人は、挨拶がすむかすまぬに、先ず私の白頭についていぶかしげに質問する。これは男女に拘らず私を悩ます所の質問であるが、その外にもう一つ、私の家内と極く親しい婦人丈けがそっと私に聞きに来る疑問がある。少々無躾に亙るが、それは私の妻の腰の左側の腿の上部の所にある、恐ろしく大きな傷の痕についてである。そこには不規則な円形の、大手術の跡かと見える、むごたらしい赤あざがあるのだ。
 この二つの異様な事柄は、併し、別段私達の秘密だと云う訳ではないし、私は殊更にそれらのものの原因について語ることを拒む訳でもない。ただ、私の話を相手に分らせることが非常に面倒なのだ。それについては実に長々しい物語があるのだし、又仮令その煩しさを我慢して話をして見た所で、私の話のし方が下手なせいもあろうけれど、聞手は私の話を容易に信じてはくれない。大抵の人は「まさかそんなことが」と頭から相手にしない。私が大法螺吹きか何ぞの様に云う。私の白頭と、妻の傷痕という、れっきとした証拠物があるにも拘らず、人々は信用しない。それ程私達の経験した事柄というのは奇怪至極なものであったのだ。
 私は、嘗て「白髪鬼」という小説を読んだことがある。それには、ある貴族が早過ぎた埋葬に会って、出るに出られぬ墓場の中で死の苦しみを嘗めた為、一夜にして漆黒の頭髪が、悉く白毛と化した事が書いてあった。又、鉄製の樽の中へ入ってナイヤガラの滝へ飛込んだ男の話を聞いたことがある。その男は仕合せにも大した怪我もせず、瀑布を下ることが出来たけれど、その一刹那に、頭髪がすっかり白くなってしまった由である。凡そ、人間の頭髪を真白にしてしまう程の出来事は、この様に、世にためしのない大恐怖か、大苦痛を伴っているものだ。三十にもならぬ私のこの白頭も、人々が信用し兼ねる程の異常事を、私が経験した証拠にはならないだろうか。妻の傷痕にしても同じことが云える。あの傷痕を外科医に見せたならば、彼はきっと、それが何故の傷であるかを判断するに苦しむに相違ない。あんな大きな腫物のあとなんてある筈がないし、筋肉の内部の病気にしても、これ程大きな切口を残す様な藪医者は何所にもないのだ。焼けどにしては、治癒のあとが違うし、生れつきのあざでもない。それは丁度そこからもう一本足が生えていて、それを切り取ったら定めしこんな傷痕が残るであろうと思われる様な、何かそんな風な変てこな感じを与える傷口なのだ。これとても亦、並大抵の異変で生じるものではないのである。
 そんな訳で、私は、このことを逢う人毎に聞か…

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