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真夏の日本海
まなつのにほんかい
作品ID57874
著者中谷 宇吉郎
文字遣い新字新仮名
底本 「中谷宇吉郎集 第二巻」 岩波書店
2000(平成12)年11月6日
初出前半(いるのである。)まで「知性 第一巻第五号」1938(昭和13)年9月1日<br>後半「知性 第一巻第六号」1938(昭和13)年10月1日
入力者kompass
校正者岡村和彦
公開 / 更新2017-08-18 / 2017-07-17
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 この十年あまり、海といえば太平洋岸の海しか見ていないのであるが、時々子供の頃毎年親しんだ日本海の夏の海を思い返してみると、非常に美しかったという思い出が浮んでくる。
 日本海の沿岸には一般に砂丘がよく発達している。浪打ち際から真白な砂が数丁も続いて小高い丘になり、その丘を越えたあたりから松林になっているのが普通である。そしてその松林を抜けた所に初めて漁村が見えることが多い。それというのは、冬の日本海が一つ荒れてくると、数丁も続いた砂丘の上まで浪が押し寄せてくるので、とても海辺の近くに家などを構えていることは出来ないのである。
 渚に沿ってたどってみると、そのような真白な砂丘がしばらく続いてやがて小さい岬につくことが多い。その岬は大抵の場合は軟質の岩からなっていて、冬の荒浪に段々根本を洗い去られて、恐ろしい断崖になっている。そしてそういう岬が半里ごと位に突き出ている所では、その間が小さい入江になって、真白な砂浜が弓なりに静かな青い夏の海をふちどっているのにしばしば出会うのである。岬の端には大抵きまったように、盆栽風な枝振りの松が孤立して立っていて、あとは黒く続いた松林になっている。
 中学の頃夏休みになると、よくこういう入江に近い漁村の一間を借りて、数人の友達と日本海の夏を送ったものである。この頃のように入学試験の準備などに追われる心配もなく、毎日のように朝飯をすますと、もう直ぐに魚刺と水眼鏡とを持って海へ出かけて行くことに決っていた。松林を過ぎると、真白な砂浜が朝の強い日光を受けて目ばゆいばかりに映えていて、その向うに、海が文字通りに紺碧に輝いて見えるのである。夏の日本海の朝の色位美しい海の色はその後見たことがない。油絵具のウルトラマリンを生のままで力強く塗ったような濃い色彩である。もっとも色の濃さからいえば、印度洋の航海の間には随分濃い海の色も見たはずであるが、真白な砂丘の向うに見える真夏の日本海の色のような印象は残っていない。
 もっとも午後になると、この色はすっかりあせてしまうのであって、今から考えて見ると、どうもあの夏の日本海の朝の色を支配する一番大切な要素は、太陽の位置ではないかという気がする。もっとも海の色をきめる要素は沢山あって、海水の中に含まれている微粒の塵ようのものに支配されることが多いのであるが、朝凪のあとまだ海が比較的澄んでいる時に、丁度太陽を背にして眺められるということが、朝の日本海の色をますます鮮かにするのであろう。
 間借りをしている漁師の家から三丁位行くと小さい岬がある。そのあたりは一面の岩海で、岬の突端からほんの少し離れて小さい岩の島がある。その島の周りが吾々の漁場であって、章魚とかさごと栄螺とが主な獲物であった。毎日のように漁師の子供たちが大勢で追っ馳け廻しているにもかかわらず、魚たちもそのあたりが好きと見えて、獲物はいつ…

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