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あきまろに答ふ
あきまろにこたう
著者正岡 子規
文字遣い新字新仮名
底本 「子規選集 第七巻 子規の短歌革新」 増進会出版社
2002(平成14)年4月12日
初出「日本」日本新聞社、1898(明治31)年3月6日
入力者高瀬竜一
校正者hitsuji
公開 / 更新2019-10-14 / 2019-09-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「も」の字につきて質問に御答申候。「も」の字は元来理屈的の言葉にて俳句などにては「も」の字の有無をもって月並的俗句なるか否かを判ずることさえあるくらいに候えども、さりとて「も」の字ことごとく理屈なるにも無之候。拙作に対する質問に答えんは弁護がましく聞えて心苦しき限りながら議論は議論にて巧拙の評にあらねば愚意試に可申述候。
「も」の字にも種類ありて「桜の影を踏む人もなし」「人も来ず春行く庭の」「屍をさむる人もなし」などいえる「も」はほとんど意味なき「も」にて、「人なし」「人来ず」といえると大差なければ理屈をば含まず、また「梅咲きぬ鮎ものぼりぬ」の「も」は梅と鮎とを相並べていうものなればこれも理屈には相成不申候。実朝の「四方の獣すらだにも」はやや理屈めきて聞ゆる「も」にて「老い行く鷹の羽ばたきもせず」「あら鷹も君が御鳥屋に」の二つはややこれに似たるものに有之候。その理屈めきて聞ゆるは二事二物を相対して言う意味ながら一事一物をのみ現し他を略したるがためにして、例えば獣だに子を思うというはまして人は子を思うということを含み、「羽ばたきもせず」というはまして飛び去らんともせずということを含み、「あら鷹も」というはそのほかの鷹もという意を含むがごときものに候。しかしこの獣の歌も鷹の歌も全体理屈づめにしたる歌には無之、悲哀感慨を述べたるものと見て差支なかるべく候。(「羽ばたきもせず」の歌やや理屈めきたるは「ほだしにて」の語あるがためにして「も」の論とは異なり)
 歌につきても今まで大体を示すに忙しく細論するの機なく候ところ、「も」の字の実地論出で候まま「理屈」ということをここに詳述可致候。心理学者が普通にいうごとく心の働きを知情意の三に分てば、前日来「歌は感情的ならざるべからず」などいいし感情とはこの「情」の一部分にして、例の理屈とは「知」の一部分に相当申候。しからば理屈とは知のいかなる部分かというに劃然とその限界を示すあたわざれども、要するに知の最も複雑したる部分が程度の高き理屈にて、それが簡単になればなるほど、程度の低き理屈となる訳に候。今まで用いたる理屈という語は最も簡単の知をば除きて言いしつもりなれど貴書の意は知と理屈とを同一に見做されたるかと覚え候。論理的に厳粛に議論せんとする場合には後説の方あるいは宜しかるべく、そうすれば理屈の内でも低度の理屈は文学的としてこれを許し高度の理屈は非文学的としてこれを排斥する訳に相成申候。この低度の理屈すなわち最も簡単の知とは記臆比較の類のごときものにして、いかなる純粋の文学的感情といえども多少の記臆力比較力を交えざる時は文学として成り立つものには無之候。もし理屈の語を広義の方に用うれば実朝の歌のごときこれを理屈といい得べく候えど、しかし余の標準に従うて判ずればこれは許すべき理屈の部に属し申候。
 かく申さば一方にて「すらだにも…

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