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擬似新年
ぎじしんねん
作品ID57890
著者大下 宇陀児
文字遣い新字新仮名
底本 「宝石 一月号」 岩谷書店
1954(昭和29)年1月1日
初出「宝石 一月号」1954(昭和29)年1月1日
入力者sogo
校正者日野ととり
公開 / 更新2017-01-01 / 2017-01-01
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 さて、新年の御慶を申そう。
 明けましておめでとう。
 貴家の万福を祈り、併せて本年もよろしく御交誼のほどを。
 ああ、しかし、こう書いてみて、この御挨拶の空々しさは、なんとしたことであろうか。いま私は、駅の向うに火事があり、その火事を見に行つてきたところだ。かなりの大火で、はじめのうち、行こうかどうしようかと思案したあげく、火の見当からいうと、ある程度親しくしている人々が住む地域でもあるし、机上山をなす新刊探偵小説飜訳書を読むのに疲れたところではあり、ともかく行こうと決心して家を出て、駅まで五分、最短距離十円の切符を買つて、あの長い駅のブリツジを渡つて、さて駅の西口へ出た時に、まだ頭から、さんさんとして大小の火の粉がふつてきたくらいだつた。
 時刻は、夜の九時半。
 この地域に蝟集するバラツク建てのノミ屋とパチンコ屋に、今を盛りと客がはいつている時刻で、それに東京では、新宿に次ぐ多数の乗客を呑吐するといわれる池袋駅で、その眼の先きから出火したのだから、駅前は身動きの出来ぬ雑沓で、悪くすると私など、押し倒されかねまじき形勢である。
 火のはぜる音が聞える。ポンプの水しぶきが、頭や襟首へ冷たくかかる。しかし、人は不思議に大きな叫び声も立てず、煙と焔を見上げて彳み、消防官に追い立てられて、右へ行つたり左へ行つたりしている。
 黒い煙と赤い焔が、たちまちにして、白い蒸気の色になつた。
 ノミ屋のアンちやんらしいのが、駅の軒下へ運び出しておいた荷物を、両腕にかかえて立上つて、「もう大丈夫だ。ぼつぼつ商売にかからにやならねえ」といつた。燃え残つたから、この人出を幸い大いに稼ごうというつもりらしい。東京というところは、そういうところだ。他人の災難や不幸だつたら、いくらでも我慢する。こつちは金儲けさえすればいいという人間が、約八百万人集まつている。私も、考えてみると、火事を消すためじやなく、消防の邪魔になるのに、わざわざ見にきたのだから、その仲間かも知れない。
 麻雀友だちで、ノミ屋だつたり質屋だつたり撞球屋だつたりしている、通称かんちやんの家は、どうやら焔の海の真ん中らしく、見舞つてやりたいが、そつちへは消防官がやつてくれない。蛇屋が焼けたそうだ。蛇の逃げ出したことだろう。蝮が逃げたら危ぶないなと思う。一週間前に、玉を百円買つて、ピース四個をもらつたパチンコ屋も、そのそばの肉屋も魚屋も焼けたらしい。サンマの匂いがしたろうねとか、また、大きなビフテキができたろうとか、焼けた家の人にまともにいつたら、横面をひつぱたかれるような、呑気なおしやべりをしている見物人がある。私も、それを聞いて、ちよつと吹き出していた。
 遠廻りして、火災現場の向う側にある空地へ出てみる。
 この空地も、見物人でいつぱいで、ところどころ、運び出した蒲団や家具や商品が、地べたへ、雑然として置いてある…

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