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家の話
いえのはなし
作品ID57979
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「柳田國男全集20」 ちくま文庫、筑摩書房
1990(平成2)年7月31日
初出「奉公」奉公会、1918(大正7)年1月~4月
入力者フクポー
校正者みきた
公開 / 更新2017-07-31 / 2017-07-25
長さの目安約 24 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

四民

 士農工商という語を日本で用い初めたのはいつ頃のことであろうか。天保八年にできた『燕居雑話』という書物には、「世俗よく士農工商ということをいえども何に出でたることを知らず云々」の話が載っている。この説によると、支那ではごく古く『淮南子』の斉俗訓にも『漢書』の食貨志にも、いわゆる四民の別が説いてあって、その範囲がほぼ吾々の士農工商と同じであるというが、これをわが国に移したのはおそらくは近世の漢学者の所業で、日本の社会組織について、深い研究を尽した上の分類でないように思われる。
 しかるにこの名目は新時代になっても、少なくも吾々の少年の頃までは、いたって盛んに公私の間に用いられたものである。たとえば明治の初年の布告には「四民平等」などという語もあったかと記憶する。あたかも本来四民が平等でなかったかのごとく看做しているのである。西洋人の日本記事の中などにも、これを興味あることとして語り伝えているために、あるいは日本には古くから天竺などのように、四種の階級が截然としておったかのごとく、吾も人も信ずるようになった。しかしこれはだいたいにおいて間違いである。今日でも大ザッパな人の頭では、士農工商の内の昔の武士に差し代えるに今日の文武官をもってして、やはりかくのごとき目安をもって社会が四つに分類し得るかのごとく考えている人がないともいわれぬ。昨年の大修繕にペンキを塗りかえるまでは、衆議院の仮議事堂の傍聴席の手摺に、士農工商を現わした四組の模様があったことは、人のよく記憶するところである。
 この類の誤りは、延いては国民の社会的国家説にも悪結果を生ずべきものであるから、軽々に看過してはならぬと思う。多くの場合無益の詮索のごとく考えられている歴史の学問は、かくのごとき場合に吾々を正しきに導くただ一つの頼みの綱である。吾々の観るところをもってすれば、個人個人の生活を得る職業としてはなるほど種々の差があった。しかしこれによって国民を大別することを得るためには、永い間の世襲と職業転換の困難な障碍がなければならぬのであるが、それを立証することは事実はなはだ困難である。



 士農工商の中でも工にはある程度までの特別な沿革がある。ことに高尚な技術、古い言葉で諸道と唱えていた医業や音楽の類を、工の中に包含するとすれば、この方面においては他の職業との混同融通は比較的少ないということができる。これらの技術にはしばしば秘密があって、いわゆる一子相伝で純然たる仲間のもののみに伝え伝えて数百年を経過したものもあった。しかしかくのごとき技術的の職業においても、世の中が進むとともにこれに従事するものの数が殖えて、その補充を求むる場合には常にまた士農工商の子弟を連れて来たのである。いわんや普通の職人と称する類に至っては、いずれの時代においても外部から弟子を採って育てていたことは事実である。

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