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語学修業
ごがくしゅぎょう
作品ID57982
著者正宗 白鳥
文字遣い旧字旧仮名
底本 「正宗白鳥全集第二十七卷」 福武書店
1985(昭和60)年6月29日
初出「早稻田學報 第四百八十五號」早稻田大學校友會、1935(昭和10)年7月10日
入力者フクポー
校正者山村信一郎
公開 / 更新2016-11-03 / 2016-09-09
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治十年代の末期から二十年代へ掛けて、新時代の文學が芽生えたので、早稻田で文學部が創設され、早稻田文學が發刊された時分は、少數ではあつたが、若い文學愛好者の間には、清新な藝術氣分が、漂つてゐたのだ。坪内先生の企てられた文學部の教育方法は、幼稚であつても、未熟であつても、藝術教育であつた。實生活を顧慮しない天才教育のやうなものであつた。和漢の古典は元より、徳川時代の學者には蔑視されてゐた近松の淨瑠璃なんかも研究させた。西洋の哲學も學ばせた。米國製のリーダーさへろくに讀めない年少學徒に、シエークスピアを學ばせた。小説や演劇を、さも人間修養に重大要件である如く教育した。感受性の強い青年期に、かういふ雰圍氣に身を置いて、知能情緒を啓發されたのであるから、若し學生にして天分が傑れてゐたなら、清新な目醒ましい藝術を創出した筈であつたが、さういふ非凡人は一人も入學してゐなかつたのである。
 藝術教育や天才教育を受けた凡人は、却つて學窓を出た後、衣食を得るに困難するばかりである。シエークスピアの古語を小學讀本同樣に讀み覺えたつて、西洋の哲學を聞き噛つたつて實社會に出て多く役に立たないのである。それで、常識に富み責任感の強い坪内先生は、學士の前途について憂慮されだしたと推察される[#「推察される」は底本では「推祭される」]。その結果卒業後中學教員としての資格を得るやうに教育方法を次第に變更されたのであらう。
 私が早稻田の豫科(專修英語科)に入學して間のない、明治三十年頃、新たに英語學部が創立されるに際し、先生の述べられた講演は、印象つよく、今なほ私の耳に殘つてゐる。「大西祝君なんかもこぼしてゐるが、學生に語學の力がないために、參考書が讀めない。英語を學ぶと云つても、字引を引いて本を讀むだけでは世間へ出て用をなさない。英語を自由に話し、手紙ぐらゐ自由に書けるやうでなければならぬ。」と云はれた。それで、實用を主とした新英語學部が出來たので、私も先生の演説に感激して、本科入學を延して、その科へ入ることにした。外人教師が二人で、話すこと書くことを主として學んだのだが、學生は僅かに六七人であつた。大抵は早く本科へ入りたがつたのである。だから、學校も經濟上この英語科は維持されなかつたらしく、二三年で廢止になつた。しかし、私自身の經驗から云ふと、本科入學を急がないで、この科に留まつてゐたことが、一生どれほど役に立つたか知れない。英語のろくに讀めない英文學研究に、どれほどの價値があるだらう。教師の譯語をテキストに書き入れてやうやく覺えたシエークスピアにどれほどの價値があるだらう。西洋哲學も英文學も學校で教へられたゞけ、試驗のため復習したゞけしか知らないで、一生それつきりで終ることになるのだ。
 今日は、あの頃とはちがつて學生も諸國の言語に熟通するやうになつてゐるらしいが、假りにも歐洲文學…

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