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勢力の中心を議会に移すべし
せいりょくのちゅうしんをぎかいにうつすべし
作品ID57986
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「新日本 第三巻第二号」1913(大正2)年2月1日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2019-02-16 / 2019-01-29
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

〔国家における勢力の中心の移動〕
 およそ国家は如何なる時代にも、勢力の中心が必要である。この勢力の中心が適当の地位を保ち、最も適当な所にあれば、必ず国家は盛んになる。専制時代、封建時代を問わず、この勢力の中心にして必ず適当の地位を占め適当の処に在るならば、国家は健全に発達するに相違ない。これを失えば、なんらか国家に異状を呈し、すべての方面に害を及ぼす。ここに於てか、更に改革が起って再び勢力の中心を元の位置に返す事をする。するとまた国家は盛んになる。即ち、国運はその中心の勢力の移動によって変ずるものである。
 この原則からして、大政維新前後よりの我が国家の中心の移動を察するに、ちょうど幕府の末路、即ち封建の末路に当っては、勢力の中心が適当なる地位を離れ、高い処から次第に卑き地位に移り、ついに中心を失ってしまった。幕府が中心の勢力を失えば、諸侯もこれを失う。この時に国難に遭遇したんである。そしてほとんど国家は勢力の中心を失ったんである。即ち尊王攘夷の大運動となって、中心の大移動を生じたんである。かくして、その中心を失った幕府が亡ぶると共に、諸侯もまた支えずして亡び、次いで新たに起ったのがいわゆる大政維新である。この時に起った中心は、即ち世間で普通にいう薩長である様だけれども、その実、封建はすでに大政維新と共に廃滅したのであるから、独り薩長というが如き一、二雄藩の勢力の残存すべきでない。勢力の中心はさる薩長というが如き空のものに存するのでなくて、実際は薩長の武力そのものに帰したのである。維新の際に於ける内乱を平定したその武力に、勢力が集ったんである。が、それほどの大乱があったでもない。伏見、鳥羽の戦争、それから奥羽の戦争くらいで、世は平和となったんである。それから如何かというに、多少内乱を惹起したが、ついに西南戦争に於て終りを告げた。武力によって中心となるという如き事が長く続けば、その国家は健康のものでなくて、必ず再び乱るる事となる。幸いに、それも西南戦争に於て終りを告げて、勢力の中心は政治家に移った。
 それまでも武力に帰したというものの、実は武力というべきではない。軍人というよりも、軍人の政治家の手に落ちたまでである。その頃には薩摩がまだ中心であった。しかし、西郷〔隆盛〕を倒す時には薩人の武力も幾分か手伝ったであろうけれども、これよりも武人の勢力は衰え、中心は文治派に移ったんである。人を以ていえば、西郷は武人に属すべきで、政治家とはいえぬ。政治的才能が如何であるというのではない。政治の方面にその才能を顕わす機会がなかったんである。前後三年近く政治に関係したけれども、あまり政治にはその力が現れずにしまった。これに対して木戸〔孝允〕、大久保〔利通〕は武人ではなく、純粋の政治家である。そして表面から言えば、二人は薩長の代表者であるらしいけれども、単に薩長の代表者た…

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