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明治文明史上に於ける福沢翁
めいじぶんめいしじょうにおけるふくざわおう
作品ID57989
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「慶應義塾學報第百拾七號」慶應義塾學報發行所、1907(明治40)年5月15日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2018-02-03 / 2018-01-27
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 塾長、閣下、諸君、今日は慶應義塾五十年の祭典にご案内を受けまして祝辞を述ぶることは私にとって最も光栄、且つ最も興味を感ずる次第である(拍手)。既にただいままで福沢〔諭吉〕先生に対する種々の御話は、先生の薫陶を受けられた尾崎君に依て、ほとんど遺憾なく説明されたのであります。私の言わんとすることも大部分は既に言い尽されたのであります。しかしながらまだ残っている事がある。最も必要な事が残っている。これは私が福沢先生の友人とし――友人といえば少しく鳴滸がましいようでありますが、最も畏敬するところの先輩とし、ほとんど三十五年間の深い交わりのあった関係からして、ただいま御話しにならぬその以外の、最も必要なる事をこの席に於て述ぶることは、最もこの紀念祭に肝要であると信ずるのであります。

〔安政五年は如何なる年か〕
 大分色々長い御話があって時が経ちましたからごく簡単に御話を致しますが、まず古い事は除きまして安政五年、安政五年という年は如何なる年であるか、この年は「タウンセント・ハリス」、即ち此処にも亜米利加合衆国の代表者が御出でになるが、その「タウンセント・ハリス」君が将軍政府との間に結ばれたところの条約、続いて露西亜、英国、仏蘭西、和蘭、この五ヵ国と締結されたところの条約に、京都の政府即ち真正なる主権者が批准を与えぬという時に当って、将軍政府は非常なる困難に陥った時であるのであります。その時に当って外国からは、既に条約を結んで何故に批准を与えぬかといって迫って来る。然るに内地は諸侯は勿論国民の議論は、外国と条約を結ぶことは国を危うくする、そうしてこれに反抗する。同時に京都に於ては最も反対が甚だしい。これが反対の中心となって全国の有志が皆京都に集った。而して帝室に於てはこれを御拒みになる。ここに於て幕府はその中間に在って、ほとんど板挟みになったその時である。それが即ち安政五年であります。まだ福沢先生が亜米利加に行かれぬ前である。ここに於て幕府は閣老堀田備中守〔正睦〕を使節として京都に送って、京都を圧迫して批准を得ようという企てをしたが、全国の有志者が大騒ぎ、堀田備中を途中で殺すという騒ぎ、到頭要領を得ずして京都から逃げ返った。こういう時であります。是に於て幕府は進退きわまって、その当時の名高い井伊掃部頭〔直弼〕を大老にして、而して京都に有名なる大獄を起して、近来の言葉で言えば「クーデター」をやった。御公卿様も有志もことごとく一網に縛りあげてしまって、而して初めてこの批准交換が出来たのである。これが安政五年五ヵ国条約といって一般に発布された。この中には記憶しておられる方があるだろうが、その時に公になった。その時にこの学校が初めて社会に生れたのである。
 その当時に於て福沢先生は攘夷家であったか、開国家であったか、其処までは能く研究しないが、いずれ攘夷は不可能ということは…

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