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左千夫先生への追憶
さちおせんせいへのついおく
作品ID58004
著者石原 純
文字遣い新字新仮名
底本 「随想全集 第九巻」 尚学図書
1969(昭和44)年11月5日
初出「アララギ」アララギ発行所、1919(大正8)年7月
入力者高瀬竜一
校正者フクポー
公開 / 更新2018-07-30 / 2018-06-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 左千夫先生のことを憶うと、私にはいかにも懐かしい気分が湧いてくる。あの大きな肥った身体、そしてみなりなどにかまわない素朴な態度、その平淡ななかに言い知れぬ深いところを湛えて我々に接せられたことなどに対し、私はどんなに懐かしさを感じているかわからないほどである。
「馬酔木」がはじめて発刊せられたのは明治三十六年のことであった。それ以前から根岸派の歌に親しんでいた私はこれを嬉しく思いながら、先生のことを想像していた。その時分は大学の学生であったが、まだ見知らぬ人をいきなり尋ねて行ってよいかどうかを思いまどいながら数箇月を過ごしてしまった。そのうちに毎月の歌会が先生の宅で開かれるようになったので、この年の秋過ぐるころに、私ははじめてその歌会の日に訪ねて行った。牛乳屋の硝子戸のはまった入口のかたわらに、少し奥まったところに格子戸の玄関が別にあった。そこで案内を乞いながら私ははじめて先生のあの懐かしい面に接したのであった。この折りに見た炉をきった座敷や、愛蔵せられていた茶釜や、無一塵の額面や、それらは今でも私の眼前にちらついて見えるようである。そして先生のおもかげと結びついて私の脳裡に消されずにのこっている。
 本所茅場町の先生の家は、もう町はずれの寂しいところであった。庭さきの墻の外にはひろい蓮沼があって、夏ごろは蛙が喧ましいように鳴いていた。五位鷺や葭切りのなく声などもよく聞いた。そこで牛を飼っていながら、茶を楽しみ、歌や文学や絵画を論じていられた先生は、実に高尚な趣味に徹した人であった。雑然たる都会のなかに住んでいた私には、暇を見つけては先生のもとに行って、その閑寂な趣味のなかに浸ることのできるのを、この上なく嬉しく思ったことであった。いつもあまりながく話して、知らない間に夜をふかしてしまうこともしばしばあった。まだ電車などまるでなかったころであったから、本郷の家まで帰るのに、もうひっそりと寝しずまった町々を歩いて来たのであったが、時々はあまりに遅い時間になってしまって、そのまま泊めていただいたことなどもかなりにあった。
 趣味に徹していた先生は、そうであるからと言って趣味に溺れる人では決してなかった。閑寂をもとめ平淡を愛しながら、なお決して世を離れるような退嬰的な態度をとらしめるに至らなかった所以はここにあると私は思う。あれほど淡雅な趣味を好んでいた先生が、他面においてはなはだ進取的な若々しい気分や、執拗な強い自信をもって、実世間につき進んでゆかれたことなど思うと、むしろ不思議なほどである。この性格において私は先生の偉大さを切実に認めるとともに、そこに少しの厭味をも伴うことなく、どこまでも懐かしさを感ぜしめることを、まことに貴とくも思うのである。
 歌論に対する先生の自信はおそらくすべての人々が異常な感をもってそれに対したほどであった。先生のこころにはそれが…

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