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歌の潤い
うたのうるおい
作品ID58009
著者伊藤 左千夫
文字遣い新字新仮名
底本 「左千夫全集 第七卷」 岩波書店
1977(昭和52)年6月13日
初出「アララギ 第六卷第三號」アララギ発行所、1913(大正2)年3月1日
入力者高瀬竜一
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-07-30 / 2019-06-28
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 潤いのある歌と、味いのある歌と、そこにどういう差があるかと考えて見た。単に詞の上で見るならば、潤いのあるということは、客観的な云い方で味いのあるということは、主観的な云い方であるとも云える。しかし細微に両者の意味を推考して見ると、両者に幾分の相違があるようにも思われる。
 味いのある歌であるが、つまらぬ歌であるというような歌があるであろうか。またそれに反して、味いは少しも無いが、歌は面白いというような歌があるであろうか。そういうことが歌の上に疑問として成立つものかどうか。こうも考えて見た。
 それで味いはあるがつまらぬ歌だというような歌は有り得ない事であろうと思うことに多くの疑いは起らぬけれど、味いというような感じはないが、何処か面白いというような歌はあるいはあるだろうと思われる。然らばどんな歌が、味いは無くても面白い歌という例歌があるかと云われると、その例歌を上げることは余程六つかしい。その味いのあると云うこと即歌の味いなるものが、具体的には説明の出来ない事柄であるから、甲は味いを感じて味いがあると云っても、乙は味いを感じないから味いが無いと云うことも出来る。こうなると、甲は味いがあるから佳作だと云い、乙は味いは無いが面白いから佳作だと云える訳である。それをまた一面から云うと、甲の味いを感ずるのは何等かの錯覚に基きやしないかと疑うことも出来る。乙の味を感じ得ないのは、あるいは感覚の鈍い為めにその味いを感ずることが出来ないのであろうとも云える。
 これが飲食物であるならば、味いがなくてうまいというものは絶対に無いと云えるが、食味の鑑賞と芸術の鑑賞とを全然同感覚に訴える事は出来ないようにも考えられるから、歌の上には味いは無いが面白いことは面白いというような歌があるであろうとも考えられる。芸術が人に与うる興味は、飲食物のそれよりも、更に数層複雑なものであること勿論である以上、味いは無くても面白い歌という歌は有得べく思われる。
 こう押詰めて来て見ると、その面白いということ(味いが無くても面白いという面白さ)は正しき芸術的感能に訴えた面白さであるか否か、と云うことだけが疑問として残る訳である。がそれは到底説明し能うべき問題でないような気がするから、結局面白く感ずるのは、その人が何等かの味いに触れるからという、概念的結論に帰着する外無いかも知れない。
 極めて漠然とした概念から差別して考えて見ると、味いをもって勝ってる佳作と、要素をもって勝ってる佳歌との差別は考えられる。ここに云う味いは、芸術組成上の諸種の要素の、調合融合上から起る味いを云い、要素とは芸術組成上に必要なる、思想材料言語句法の各要素を云うのである。勿論その要素それ自身に、各その味いがあるのであるから以上の如き差別は、仮定の上に概括して云うことであるけれども、大別して云うならば、味いをもって勝ってる佳…

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