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新編忠臣蔵
しんぺんちゅうしんぐら |
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作品ID | 58019 |
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著者 | 吉川 英治 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「吉川英治全集・16 新編忠臣蔵 彩情記」 講談社 1968(昭和43)年12月20日 |
初出 | 「日の出」1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号 |
入力者 | 結城宏 |
校正者 | 北川松生 |
公開 / 更新 | 2018-08-11 / 2018-07-27 |
長さの目安 | 約 694 ページ(500字/頁で計算) |
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浅野内匠頭
七ツちがい
春の生理をみなぎらした川筋の満潮が、石垣の蠣の一つ一つへ、ひたひたと接吻に似た音をひそめている。鉄砲洲築地の浅野家の上屋敷は、ぐるりと川に添っていた。ゆるい一風ごとに、塀の紅梅や柳をこえて、大川口の海の香は、銀襖や絵襖などの、間毎間毎まで、いっぱいに忍びこんで来る。
すぐ塀一重、外には、櫓の音が聞えるし、大廂には、海鳥の白い糞がよく落ちたりする。
『赤穂の浜も、今頃は、さだめし汐干や船遊びに、賑うて居るであろ』
内匠頭は、脇息から、空を見ていた。いや、遠い国許の、塩焼く浜の煙を、思い出している眸であった。
二十五、六歳かと思われる上品な女性のすがたが、次の間から半分見える。夫人であろう。風呂先で囲った茶釜の前に、端麗に坐っていた。茄子色の茶帛紗に名器をのせ、やがて楚々と歩んで、内匠頭の前へ茶わんを置いた。そして彼の視線と共に、廂越しの碧い空に見入った。
『江戸では、江戸の春と、みな自慢でございますが、お国表の事をお思い遊ばすと、やはり懐しゅうて、赤穂の御本丸が、恋しゅうおなりでございましょう』
『それはもう、何んな所に、住まうよりは』
と、うなずいて、
『田舎者は、田舎がよいよ』
――隣り屋敷の小笠原隼人の奥では、今日も、大蔵流の小鼓の音がしていた。世間、能流行なのである。
流行といえば、能のみでなく、武士も町人も流行事に追われている。個人に充実がなく、人々に大きな空虚があるのだった。歌舞伎風俗だの、無頼漢の伊達が、至上のものに見えた。良家の子女まで、淫蕩な色彩をこのんだ。町に捨て児がふえ、売女の親たちが、大きな顔して、暮しが立った。旗本はおろか、勤番者ですら、吉原を知らない者はないし、湯女を相手に、江戸唄の一節ぐらいは弾く者が多い。極めて、実直なと云われる町人の中でも、鶉を飼うとか、万年青に五十金、百金の値を誇るとか、世相の浮わついていることは、元禄の今ほど、甚だしい時はないと云われていた。
(上を見習う下だ――)
と密かに、政道を嘆く者もある。
(寛永頃には、武士道も、町人道も、まだまだ、こんなには腐っていなかった)
と当代の将軍綱吉の個性からくるものを、暗に、そしり嘆じる者も多い。
当然、大名生活の内幕は、腐りぬいていた。外観ばかりが、豪奢で絢爛で、内輪では、領民に苛税を加えたり、富豪から冥加金を借り上げたり、そのやり繰り算段や、社交に賢い家来が(あれは、忠義者)と、主人に愛されている時世なのである。
そういう時世の中にあって、浅野家だけは、ひっそりと、質素であった。名儒、山鹿素行の感化も大いにあったし、藩祖以来の素朴な士風が、まだ、元禄の腐えた時風に同調していない。
従って、藩の財政も余裕があった。赤穂塩の年産も巨額きなものだったが、要するに、内匠頭夫婦の驕らないことと、士風の堅実が、何よ…