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星より来れる者
ほしよりきたれるもの
著者室生 犀星
文字遣い旧字旧仮名
底本 「室生犀星全集第二卷」 新潮社
1965(昭和40)年4月15日
入力者岡村和彦
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2020-08-01 / 2020-07-27
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

「星より來れる者」序


 このごろ詩はぽつりぽつりとしかできない。一時のやうに、さうたやすく書けなくなつたかはり、書くときはすらりと出てくる。それが詩の本統かもしれない。詩を書き出して十年になるが、やはり古くかいたことを時時かき換へてゐるにすぎない氣がする。併し一方からいへば、一つのものをかいても、本統に別な氣持でかいてゐることを考へると、形式でなく、輪廓でもない、心核から、しつかりと自分をかいてゐる氣もする。
 さういふわけで、私は特に作らうとするより、考へようとするより、れいの、すらりと書いてゐる。それすら極めて稀にしかできないのだから、私として珍らしい詩集かもしれない。詩などといふものは、甚だしく轉換るものでなく、一とところに目ざめてゐる心は、やはり、むかしのやうに一とところに寂然として沈んでゐるわけのものである。それゆゑ、變化つたとか變化らないとかいふことは、眞實そのものでなく、たんに形式や輪廓、もしくは詩行の配列などから言はれることが多いのである。

 リズムの問題なども、文字の上では、絶對にありえない。内容の優柔な波動や、その詩の心の状態などに、眞のリズムがある。形式や文字の列なりにはない。すくなくとも第一流の詩には、リズム論者などの通常的色盲にはふれることのできない、いいところがある。ぼんやりした美しい肉顏に向つてゐて、それがどうといふこともなく、ただ、じんわりとうつくしく感じるところの、その美がある。決して言ひあらはせない、目や口ではなく、また皮膚でもない、統べられた或るふしぎな美しさがある。詩もやはりさういふところにいいところがあるに違ひない。それは總て部分からいへば皮膚の纎細でもあり目の圓滑でも肉置きのゆたかな點も、部分的に指摘することはできるであらうが、それを狩りあつめた、何ともいへない、ぼんやりとした美は、それ全體の上にある筈だ。私の詩も、いくらかさういふ表情のなかから沁み出たやうな子供らしい觀念をいまだに持つてゐるのである。しかし、さういふいいものが私の詩のなかにあるかないかが甚だ疑はしいが、私としてはやはり左ういふ傾向に氣が向いてゐることを一言述べておきたいのである。
大正十一年一月二十一日田端にて
室生犀星
[#改段]



我庭の景





藁のなかから
朱い花が撥き出てゐる
藁は乾いてきいろく柔らかい
そして温かい

花と葉と蕾とが
冬の日に向いてゐる
土は凍えてゐる
撥きでた花はかつと朱い
樂しい色をしてゐる

天の一方

おまへはうつくしい手をもつてゐる
しなやかでゑくぼが浮いてゐる

おまへはそのうつくしい手で
おまへの白い膝や肌をみがく

おまへは飽くこともしらずに
誰の手にもふれずに湯あみをしてゐる

けれどもおまへは誰ともはなしをしない
つかれたときのわたしの瞳の奧で

おまへはたえずほほゑんでゐる
わたし…

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