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釈宗演師を語る
しゃくそうえんしをかたる
作品ID58058
著者鈴木 大拙
文字遣い新字新仮名
底本 「禅堂生活」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年5月17日
初出「現代佛教 第一〇五号」大雄閣、1933(昭和8)年7月1日
入力者酒井和郎
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-07-12 / 2018-06-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今年の夏、米国シカゴ市で万国博覧会を開くその序でに、万国宗教大会を催すと云う計劃があったと聞く。併しそれは中止になったらしい。その理由の一として、もしそんな大会を開くと、今から四十年前に同じ市で同じ会合があった時のように、東方からの宗教者に宣伝の好機会を与え、藪から蛇をつつき出すことになる、而してそれは基督教徒にとって好都合のことではないと、こう云うのが一の理由となって中止せられたものだと、或る人は云って居た。こんな理由もあったかも知れぬ。何故かと云うに、吠檀多教や仏教など云う東方の教えが米国に入り込んだのは、実に印度や日本の人々が宗教大会に大いに気焔を吐いた、その時からのことである。釈宗演師などの名が米国に伝わり、又再度の渡航を促すようになったのは、実にその因縁をこの時に結んだのである。
 不思議な因縁で、自分の渡米もこの時に出来たのである。仏教のうちでも禅が割合に英米に知れて来たのも、やはりその機はこの時から熟し始めたのである。それで今釈宗演師につきて語らんとするに当り、自分の想は自然に今度計劃せられた宗教大会から四十年前の大会に溯るわけである。
 宗演師はその頃既に多少英語を解して居られたけれど、大したことではなかった。自分の英語も怪しいものであったけれど、それでも何かの助けになった。大会のプログラムを談じたり、講演の草稿をこしらえたり、往復の手紙を書いたりなどした。今から見ると、どんな事をやったか、随分冷汗をかくような事をやったに違いない。宗演師講演の英訳を了えて、それを当時円覚寺内の帰源院に来て居られた夏目漱石さんに見てもらったことを覚えて居る。元良先生も、その時居られたかと思う。
 とに角、この大会が縁になって、米国のケーラス博士は『仏陀の福音』と云うものを書いた。これが不思議にも欧米によく売れた。ケーラスは随分沢山色々の書物を書いたが、今でも売れる本は『仏陀の福音』だけである。彼の名はこれで不朽になるであろう。自分はこの書を和訳した。それから、大会のプログラムによりて、自分は又『新宗教論』と云う一著述をやった。
 余宗は知らぬが、こんな大会に臨済宗の管長で師家であったものが単身出かけるなど云うことは、破天荒の事であった。それで宗演師の渡米に反対するものも、可なりあったのは事実だ。併し師は敢然として外遊することに決心して、著著その準備を進めた。今では禅坊さんの外国行は何でもないが、時勢も変れば変るもの。但しその始めをなす人には、可なりの決意と先見とが必要である。この点から見ても、宗演師には時代から一歩先んずるだけの見識と実行力があったわけである。その当時、師はまだ三十を越ゆること四、五を出でぬと思う(今年代記を持ち合わせて居ないし、その上自分は殊に時の観念に乏しいので、歴史的記述は何時も無茶苦茶である。乞御諒察)。
 その頃平井金三と云う人がシ…

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