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孤座
こざ
作品ID58068
著者相馬 御風
文字遣い旧字旧仮名
底本 「相馬御風著作集 第六巻」 名著刊行会
1981(昭和56)年6月14日
入力者岡村和彦
校正者フクポー
公開 / 更新2017-07-10 / 2017-06-25
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今年は雪が珍らしく少なかつたので、二月末からもうヂカに土を踏んで歩くことが出來、三月になつてから東京で雪が積つたといふやうなことを新聞で讀んで、何だか東京の方が反對に雪國になつたのではないか、といふやうな氣がした位である。それほどこのあたりは春の訪れが早かつた。
 燕の來たのは例年より十日早かつたといはれ、櫻の咲いたのも四月十日頃といふ早さであつた。そして折からの生暖かい南風に、僅か三四日で散つてしまひ、四月下旬にはもうすつかり葉櫻になつてしまつた。梅櫻桃李一時に開くといふのが例年このあたりの盛春のさまであるが、今年はさうは行かず、次々時をたがへて咲いた。全く珍らしい春であつた。
 今私が坐つてゐる南向きの二階の窓から遙かに見える高い山々はまだ眞白であるが、目下の庭にはもう山吹が咲き、みづ/\しい色の楓の若葉が風にゆらいでゐる。さゝやかな築山ながら、そこには岩間にほの白くいかり草の花がゆら/\ゆれて居り、擬寶珠の廣葉が日に光つてゐる。
 時々キリ/\/\といふ川原ひわの啼聲が空を通つて行く。濱の畑の菜種はまだ花盛りで彼等の最も好きな實を結ぶには間があると思ふが、氣早な彼等ではある。つひ五六日前まで毎日家のまはりに聞えてゐた鶺鴒の雄と雌と呼び交す澄んだやさしい聲が、急に聞かれなくなつたやうだ。おそらく彼等はもう巣籠つたのであらう。
 去年は中庭の松の木の高い枝に巣をかけたが、今年は家のまはりには一つも小鳥の巣らしいものが見えない。雀すら巣をかけてゐないらしい。何となくさびしい思ひがする。
 こんな貧弱な庭でも、そこを安全地帶と信じて巣をつくりに來る小鳥のあることはうれしいことである。私は庭のどこかに小鳥の巣を見つけると、きまつて毎日のやうにそれが安全であるか否かに氣をくばるのであつた。
 たまに猫や鴉なんか近寄るやうなことがあると私はやつきになつてそれらを追拂つた此の春はさうした氣がかりはないが、それが却つてさびしいのである。
 信頼されることは、苦勞の種である。時にそのうるさゝに堪へなくさへある。しかし信頼して來るものゝないことは、これまた堪へ難くさびしいことであらう。庭の木に巣をつくりに來る小鳥のないことすら時にこんなに淋しいのだから。
 この頃の私は殆ど毎日のやうに二時間位全く一人きりで何もせずに机の前にぢつと坐つてゐることがある。敢て坐禪を行つて居るといふのではない。たゞぼんやりさうしてゐるのである。しかもその空虚の時間が毎日私にとつて最も貴い休養の時間である。そしてそれの得られない日は、とかく何事をしても落着きが得られないやうでいけない。此の春のさびしさはさうした時間をよく私に惠んでくれてゐるので、その點はありがたい。
 憂きわれをさびしがらせよかんこ鳥――芭蕉のこの句を口ずさむ。そして到る處寂しさに安住することの出來た芭蕉の心をなつかしむのである…

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