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寐顔
ねがお
作品ID58075
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「雨瀟瀟・雪解 他七篇」 岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年10月16日
初出「女性」1923(大正12)年6月
入力者入江幹夫
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-04-30 / 2017-03-11
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 竜子は六歳の時父を失ったのでその写真を見てもはっきりと父の顔を思出すことができない。今年もう十七になる。それまで竜子は小石川茗荷谷の小じんまりした土蔵付の家に母と二人ぎり姉妹のようにくらして来た。母の京子は娘よりも十八年上であるが髪も濃く色も白いのみか娘よりも小柄で身丈さえも低い処から真実姉妹のように見ちがえられる事も度々であった。
 竜子は十七になった今日でも母の乳を飲んでいた頃と同じように土蔵につづいた八畳の間に母と寝起を共にしている。琴三味線も生花茶の湯の稽古も長年母と一緒である。芝居へも縁日へも必ず連立って行く。小説や雑誌も同じものを読む。学課の復習試験の下調も母が側から手伝うので、年と共に竜子自身も母をば姉か友達のように思う事が多かった。
 しかし十三の頃から竜子は何の訳からとも知らず折々こんな事を考えるようになった。母はもし自分というものがなかったなら今日までこうして父のなくなった家にさびしく一人で暮してはおられなかったかも知れない。自分が八ツの時亡くなった祖母の家にとうに帰ってしまわれたかも知れない。母がこの年月ここにこうしておられるのは全く自分の生れたためではないか。竜子は母が養育の恩を今更のように有難く忝なく思うと共に、また母に対して何とも知れず気の毒のような済まないような気もして自然と涙ぐんだ。それ以来竜子は唯に母と自分の身の上のみならず見廻す家の内の家具調度または庭の植木のさまにまで底知れぬ寂しさを感ずるようになった。
 家の内には竜子が生れた時から見馴れた箪笥火鉢屏風書棚の如き家具の外に茶の湯裁縫生花の道具、または大きな硝子戸棚の中に並べられた人形羽子板玩具のたぐい、一ツ一ツに注意すればむしろ物が多過ぎるほど賑かに置かれてある。それにもかかわらず家の内はいつもしんとして薄寒いような気のするほど静である。
 日当りのいい縁側には縮緬の夜具羽二重の座布団や母子二人の着物が干される。軒先には翼と尾との紫に首と腹との真赤な鸚哥が青い籠の内から頓狂な声を出して啼く。さして広からぬ庭には四季断えず何かしら花がさいているが、それらの物のハデな艶しい色彩はかえって男気のない家の内の静寂をばどうかすると一層さびしく際立たせるように思われる事があった。
 日頃母子の家に出入する男といっては、日々勝手口へ御用を聞きに来る商人の外には、植木屋と呉服屋と家作の差配人と、それから桑島先生という内科の医者くらいのものであろう。いずれも竜子の生れない前から出入していた人たちで、もう髪の白くなっていないものは一人もない。
 橘屋という呉服屋の番頭は長年母の実家の御出入であった関係から母の嫁入した先の家まで商いを弘めたのである。差配人の高木というのは亡った主人が経営していた会社の使用人で長年金庫の番人をしていた堅い老人である。植木屋は雑司ヶ谷から来る五兵衛という腰のま…

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