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福沢先生の処世主義と我輩の処世主義
ふくざわせんせいのしょせいしゅぎとわがはいのしょせいしゅぎ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「実業之世界 第五巻第一号」1908(明治41)年5月
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2018-02-03 / 2018-01-27
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

凡人主義の勝利者
 福沢先生に処世主義というべきものが有ったかどうか知らぬが、我輩には処世主義というべきものがない。一体処世上主義というのは定められる理屈のものでない。それを世人が処世主義とか何とかいうのはいわゆる講壇的のもので、テーブルの上から学生に講義をする時の事である。ところがすべて世の中の事は、学校の講義のような趣向には顕われて来ない。で処世主義などいうことは講壇ではいえるけれども、実社会にはあまり必要のない事である。然るに近頃何主義某主義というように種々の主義が流行するが、主義という事は左様に無造作なものでない。
 我輩は学者でもなければ天才でもない。頗る平凡な人間だ。凡人だ。多分福沢先生も凡人であったろうと思う。もし先生が非凡人で常に高く止って澄まし切っておられてあったら、あれだけの偉い人にはなれなかったのである。で強いて申さば、福沢先生は凡人主義の勝利者である。

凡人主義は実行主義
 福沢先生と同一種類の学問をした人達の中で、非凡の主義を持った人があるかも知れない。けれどもそういう人はすべて失敗である。なるほど非凡人主義の人達は口が達者で、議論が好くて、処世の講義は巧かったかも知れないが、これは福沢先生の口調を藉りて申せば、いわゆる空念仏で実際出来ない事をいうのだ。一体口の先は調法なもので、口の先では豪傑にも聖人にも孔子にも釈迦にもなれる。これは今の人間の智恵が、昔の人間の智恵よりよほど進んだのである。もし今の人間の口先にかかったら、耶蘇孔子の如き古の大宗教家といえども、恐らく三舎を避けるであろうと思う。しかしこれは口先や議論の話でいざ実行となると、今人は古人に及ばない。非凡人主義の役に立たない理由はこれである。一体実行せずに高尚な理屈をいったところでそれが何になる。いうて社会を攪乱するよりはむしろいわずに実行し易き事を実行した方がいいではないか。

福沢先生の社会観
 福沢先生は優れた才子で人格も高かったが、人間は存外平凡なものであるということを知っておった。恐らく自分自らも平凡なることを知っておったであろう。これが根本になって福沢先生の処世主義が成立っている。それで福沢先生はあくまでも実行し得る、頗る平凡な事の外は決して口にしなかったものだ。であるから憖いな学者達、もしくは道徳家達は福沢は不都合な奴だとか、社会の道徳を破壊するとか、福沢の議論は浅薄だとか、いわゆる倫理、道徳、処世主義というようなものを標準としてしきりに攻撃したものだ。がこれらの連中は坊主の説教を無上に有難がる方の連中で、坊主自身が何が何やら意味を解せずに説教してるのを自分も解らずに聴きながら、随喜渇仰の涙を零すという手合いだ。この調子で行くと御経の文句は、梵音とか漢音とか、なるべく解らぬように誦んじた方がもっともらしく聞えていい。けれども社会の事はもっともらしく聞えるばか…

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