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我輩は何故いつまでもすべてに於て衰えぬか
わがはいはなぜいつまでもすべてにおいておとろえぬか |
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作品ID | 58087 |
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著者 | 大隈 重信 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店 2016(平成28)年3月16日 |
初出 | 「実業之世界 第五号第五巻」1908(明治41)年9月 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 門田裕志 |
公開 / 更新 | 2018-02-16 / 2018-01-27 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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なぜ世人は直ぐ衰えるのか
人間は百二十五歳までの寿命をもっておるというのが我輩予ての説である。しかしこれにはあえて深い論のある訳でない。生理学者の説に依ると、すべて動物は成熟期の五倍の生存力をもっておるというてある。そこで人間の成熟期は二十五歳というから、この理窟から推してその五倍、即ち百二十五歳まで生きられる訳である。勿論土地気候の関係や各人体質の如何に依りて長短の差は有ろうが、大体に於て百二十五の寿命というのがその趣旨である。随って我輩の説からいうと、それ以上に生存した者でなければ長寿者といえぬのである。
そういう訳で人間の気力は百二十五歳までは衰うべきものでない。然るに今日世人の多くが僅か五十、六十にして身体気力共に衰退しているのは一体どういう訳か。およそ人の身体は使わなければ衰える。力士が稽古を休むと相撲が取れなくなり、永く頭を使わぬと働きが鈍くなるのは皆この理由である。即ち世人の多くがいわゆる隠居と称して隠退して社会から遠ざかってしまうから、自ずと衰退するのであると思う。これは実に意気地ない事である。かの地震火事の如き天災非常の場合に、驚くほどの力の出るのは何故であろうか。この場合に於ては精神が非常に興奮しているからである。即ち精神の力が体力に勝つのだ。我輩はこれを称して精神が物質を支配するのだといっている。戦争の場合とても全く同じ事である。そこで我輩はこれらの点から考えて、気力身体の衰えると否とは年齢の関係ではなく、修養の如何にありと信ずるのである。
我輩はどうして修養するか
然らばどういう風に修養するかというと、つまり何事も楽観的に見て行けばよい。およそ人には老若男女の別なく皆希望というものがある。まず生れると直ぐ乳を飲みたがる。それから生長するに随って様々の希望が起り、それを満足せしめんとして皆働いているのである。しかしながら世の中の事はなかなか思う様に行くものではない。失敗もする。挫折もする。これを商人に譬えていえば、物品を廉く買って貴く売りたいというのがその希望であろうが、時に相場が下がったり、品物が毀損したりして甘く行かぬ事がある。この損が酷いとついに破産という様な悲運に陥るのである。普通の人はここで煩悶し愚痴をこぼすが、人間愚痴をこぼす様ではおしまいである。失敗は世の常、煩悶するにも及ばぬ。悲観する必要もない。失敗すれば如何にしてこれを恢復するかという新たなる第二の希望が起るではないか。この難関を切り抜ける気力がなくてはならぬ。而してこの問題に処して更に経験を得て行くとすれば、失敗も見方に依ては甚だ有益且つ興味あるものである。我輩は如何なる困難、如何なる障碍に遭遇するも決して悲観しない。事が困難になり複雑になればなるほど、益々大なる勇気と興味とを以て常にその解決を試みている。我輩は自らこれを名づけて快楽主義といっている。失敗も…