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怒れる高村軍曹
いかれるたかむらぐんそう |
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作品ID | 58089 |
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著者 | 新井 紀一 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「編年体 大正文学全集 第十巻 大正十年」 ゆまに書房 2002(平成14)年3月25日 |
初出 | 「早稻田文學」東京堂、1921(大正10)年8月号 |
入力者 | 富田晶子 |
校正者 | 日野ととり |
公開 / 更新 | 2017-01-01 / 2017-01-01 |
長さの目安 | 約 24 ページ(500字/頁で計算) |
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一
消燈喇叭が鳴つて、電燈が消へて了つてからも暫くは、高村軍曹は眼先きをチラ/\する新入兵たちの顔や姿に悩まされてゐた。悩まされてゐた――と云ふのは、この場合適当でないかもしれない。いざ、と云ふ時には自分の身代りにもなつて呉れる者、骨を拾つても呉れる者、その愛すべきものを自分は今、これから二ヶ年と云ふもの手塩にかけて教育しようとするのであるから。
一個の軍人として見るにはまだ西も東も知らない新兵である彼等は、自分の仕向けやうに依つては必ず、昔の武士に見るやうに恩義の前には生命をも捨てゝ呉れるであらう。その彼等を教育する大任を――僅か一内務班に於ける僅か許りの兵員ではあるが――自分は命じられたのだ。かう思ふ事に依つて高村軍曹は自分が彼等に接する態度に就ては始終頭を悩まされてゐた。で、眠つてる間にもよく彼等新兵を夢に見ることがあつた。彼はどんな場合にも、自分の部下が最も勇敢であり、最も従順であり、更に最も軍人としての技能――射撃だとか、銃剣術だとか、学術に長じることを要求し希望してゐた。
彼は自分のその要求や期待を充足させることが、自分を満足させると同時に至尊に対して最も忠勤を励む所以だと思つてゐた。それに又競争心もあつた。中隊内の他のどの班の新兵にも負けない模範的の兵士に仕立てようと云ふ希望をもつてゐた。が、その希望はやがて大隊一の模範兵を作らうと云ふ希望になり、それがやがて聯隊一番の模範兵にしようといふ希望に変つて行つた。この時彼の心にはまた昔から不文律となつて軍隊内に伝はつてゐるところの、いや現在に於て自分たちを支配してゐるところの聯隊内のしきたり――部下に対する残虐なる制裁に対して、不思議な感情の生れて来るのを感じた。また自分よりかずつと若い伍長や軍曹、上等兵なぞがまるで牛か馬を殴るやうに面白半分に兵卒たち、殊に新兵を殴るのを見ると、彼は妙に苛立たしい憤慨をさへ感じた。殊に自分までが一緒になつて昨日までそれをやつてたのかと思ふと、不思議なやうな気さへした。新兵の時に苛められたから古兵になつてからその復讎を新兵に対してする――そんな不合理なことが第一この世の中にあるだらうか。自分たちを苛めてゐた古兵とは何んの関係もない新入兵を苛める――その不合理を何十年といふ長い間、軍隊は繰り返してゐるのだ。そして百人が百人、千人が千人といふもの、少しもそれを怪しまずにゐたのだ。俺はなぜ、そんな分り切つた事を今まで気がつかずにゐたらう?――さう思ふと彼は只不思議でならなかつた。
彼は聯隊では一番古参の軍曹であつた。もう間もなく満期となつて、現役を退かなければならなかつた。が彼は予備に編入される前には必ず曹長に進級されるであらうと云ふことを、殆ど確定的に信じてゐた。また古参順序から行けば当然、今年度の曹長進級には彼が推されなければならぬのであつた。それは強ち彼れ自…