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指導物語
しどうものがたり
作品ID58090
副題或る国鉄機関士の述懐
あるこくてつきかんしのじゅっかい
著者上田 広
文字遣い新字新仮名
底本 「コレクション 戦争と文学 15 戦時下の青春」 集英社
2012年(平成24)年3月10日
初出「中央公論」1940(昭和15)年7月号
入力者富田晶子
校正者日野ととり
公開 / 更新2017-01-01 / 2017-01-01
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 鉄道聯隊の兵隊さんを指導することになった。私には本当に久し振りであった。なんでも運転係の助役さんの話では、今度は特別よい機関士ばかりを指導者に選んだと云うことだが、私にしても大変嬉しいわけである。私もこれで三十年近くも機関士をやっているのだから、例えばその兵隊さんがずぶの素人でも、大した頭の持ち主でなくとも、立派に一人前にしてやらなければならない。僅か三ヶ月やそこいらで、機関車を動かせるようにしろなんて無茶だ、と云うものもないではないが、この時局を考えたら、出来るかどうかやってみるより外に仕方がないだろう。それにまた考えようでは、どの兵隊さんもやがて戦地へ行く体だし、単に気がまえの点から云っても、平和の頃とは大分違っている筈である。こっちの出方では呼吸もぴったり合うにちがいない。いや合わせなければならない。そうすれば石炭を焚くスコップの扱いかたが悪いと云っても、制動機の使いかたに文句を並べても、お互いにまずい感情にも捕われないで済むだろう。正直なところ、私もこの年齢では戦場へも行けないし、子供は娘ばかりで兵隊にもやれないのだから、せめて可能の仕事を積極的にやり、幾らかでも非常時のお役に立ちたい、と云う決心をかためていた際でもあり、自然に仕事への張りも出て来たようである。
 それに尚おありがたいことには、私の預った兵隊さんは、なかなかに物覚えが好いのである。訊いてみると小学校を卒えただけで、或る工場の見習工をしていたと云うのだが、機械の名称などもよく知って居り、知らないのも直ぐ覚え込んでしまう珍らしい若者であった。補充兵でまだ一ツ星ではあるが、毎日乗務が終って私に捺印をもとめる勤務手簿には「佐川新太郎」の文字が見られた。山梨の小さな町に生れ、小学校へ通っている頃病気のために父を喪い、母親の手内職ひとつで育てられ、入営後もその母親が独りで留守を守っていると云うことだが、長い間工場通いをしたと思えないほどやさしく実直な性格を持っていた。お転婆娘を三人も育てて来た私などには、反対にその人柄に魅力さえ感じられた。白状すると私も一時は、彼が上の娘に婿入ってくれたらどんなに好いかと、ひそかに思いをめぐらせたくらいで、これと云って非難の打ちどころがないのである。ただひとつ老人の贅沢がゆるされるなら、若者らしい正義感の迸るままに時として若干怒りっぽい感じがないでもない。独り息子のせいかも知れない。私などとは別だが、同じ機関車に乗っている機関助士との間では、ちょっとした問題が飛んだいさかいのもとになったりする。例えば田舎の駅から都会のプラットホームへ這入り、盛装した女などを見かけ、やっぱり綺麗だね、と何気なく機関助士が呟くと、佐川二等兵は一応は首肯いても、あまり着飾っていると癪にさわってくる、と云うようなわけから銃後の女性論にまで及び、結局お互いに感情的になってごたごたが出来…

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