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文明史上の一新紀元
ぶんめいしじょうのいちしんきげん
作品ID58113
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「新日本 第四巻第一二号」冨山房、1914(大正4)年10月
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2017-12-12 / 2017-11-24
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

平和論の起るや久し
 我が国で平和論の唱道されるは、近頃の事ながら、欧羅巴では早くより基督教徒の間にその議論が起っておった。十七世紀の頃、既に仲裁裁判に関する思想が発生したのである。かの国際法学者の元祖と言われるグローチュースの如きは、千六百二十五年に公刊された著名なる和戦法規という書の中に、既に戦争の惨害を指摘し、基督教国間に於ける争議はすべてこれを基督教国の会議に訴え出て、それに利害関係を有せざる基督教国の代表者をして裁判させ、以て戦争を根絶せんことを主張している。その後、この思想は次第に蔓延して、かのベンザムや、ミルや、カントや、フィヒテや、シェリングという如き哲学等も盛んに平和論を説き、欧羅巴に於ける文明国は仲裁裁判の方法によって平和的に国際問題を解決すべきことを論じた様である。かくして、この種の思想は次第に一般的となり、ついにこれを実際に行わんとする運動が起って来た。
 かの英米両国政府の間に於て約十年の大懸案であったアラバマ事件が、ゼネバの仲裁裁判所で平和的に解決された如きはその顕著なる実例である。かくの如き永年の懸案が仲裁裁判に依って平和に落着したという事実は、戦争の原因をある程度まで仲裁裁判を以て解決し得るものたることの信念を大いに強めたのである。

二回の万国平和会議
 ここに於て、ついに千八百九十二年に、露国の外務大臣ムラヴィウフ伯は露国皇帝の命令によって万国平和会議を召集するに至ったのである。この第一回万国平和会議は千八百九十九年五月十八日から和蘭の首都海牙に開かれ、日本、独逸、北米合衆国、墺太利匈牙利、白耳義、清国、丁抹、西班牙、仏蘭西、希臘、伊太利、ルクセンブルグ、墨西其、モンテネグロ、和蘭、波斯、葡萄牙、羅馬尼亜、露西亜、塞耳比亜、暹羅、瑞典、那威、瑞西、土耳其、勃牙利の二十六ヵ国の全権大使が会合して、国際的争議を解決するに、出来るだけ居中調停、仲裁裁判の如き平和的方法に依らむことを決議し、そして永久仲裁裁判所を海牙に設置する事となったが、ただ独逸の故障あったがために国際争議を義務的に仲裁裁判に付する事の成立しなかったのみならず、また軍備縮小に関することにもなんらの決議を為すを得ずして終った。
 次いで千九百七年に至り、第二回平和会議の召集があったが、このたびは前回に比し、全権大使を参列させた列国も甚だ多く、その数も四十三ヵ国に達したのみならず、第一回平和会議の条約に対して多数の条項を増加し、また修正を施して、ある種類の争議はこれを義務的に仲裁裁判に付する様にした。

この惨害を如何せん乎
 かくの如く国家間に於ける平和運動も、次第に発達したのみならず、一面、千八百八十八年には初めて万国議員会議が開かれ、同じく国際的平和を進むる事を希望したのみならず、協会の如きものが世界の至る処に設立された。かくの如く平和運動も驚くべき勢いを以て…

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