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世界平和の趨勢
せかいへいわのすうせい
作品ID58121
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「太陽 臨時増刊 第十七卷第十五號 戰爭歟平和歟」博文館、1911(明治44)年11月15日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2018-12-16 / 2018-11-24
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

平和の曙光
 元来、平和は弱いものであるから、強い者が出てこれを破ろうと思えば容易に破り得らるるものである。故にあくまで平和主義を持して国際競争場裡に立ち、優勝を制せんことは、過去は勿論、現時に於てもほとんど絶対に不可能のことである。如何なる場合にありても戦争をせないということは、即ち敵手国に屈従をあえてするという意味である。かの宋朝が絶対平和主義を持して北方の強たる金及び元に苦しめられ、胡澹庵をして慷慨のあまり、秦檜、王倫斬るべしと絶叫せしめた上奏文を見ても、如何に絶対平和主義を持する国家の憫れむべきものであるかが分かる。古今東西の歴史の示すところ、絶対平和を持する国が他の強国と対峙して優勝を制した例はない。故に一国といえども強兵を挟んで他を侵略せんとするの意図を有する間は、世界的の平和を期することは不可能である。さらば世界的の平和は到底望むべからざるかというに、決してそうではない。平和の曙光は今日既に見えて来たのである。
 過般来朝したジョルダン博士は、昔は農民の上に貴族が跨ってこれに鞭ち、今は農民の上に兵士が跨り、兵士の上に更に資本家が跨ってこれに鞭っておるという仏蘭西のある雑誌に出たポンチ絵の話をして、今や世界の実権が国家を去って金力――資本家――に移りしことをいい、現下各国が重大なる軍事費を負担せるものは、皆これら資本家が政府に強いて軍備を競争的に拡張せしめ、以て自己の利を図るの結果であると喝破したが、これは如何にもその通りである。近世に於ける欧州の戦費の五百億は皆猶太人のポッケットより出たものである。かの世界第一の富豪ロスチャイルド家の如きも、各国の政府に金を貸し付けて戦わしめ、また軍備を拡張せしめ、これによって得たところの収益で現時の富をなすに至ったものである。而して今や資本家の勢力は政府を左右し、平和の継続、戦争の開始、軍備の拡張、軍事費の増加をその意思のままにすることが出来る。政府はただ資本家の欲するがままに動く。こういう傾向は、確かに近代になって著しく見えて来たようである。この際独り憐れむべきは、資本家の懐を肥やすがために、政府より膏血を絞り取らるる各国の人民である。およそ国民の負担力には限りのあるものであるが、今日は各国共、過大なる軍事費のために、ほとんどその負担力のマキシマムを超えんとするの状態にある。別言すれば軍備競争のために、現時の各国民の生活はほとんどミニマムにまで低下したという憐れむべき状態である。従ってもはやこの上軍事費を加えんことは各国共にほとんど堪え能わざるところであるから、軍備競争も自ずから行き止まりとなるの時期は近づいたと思う。ことにある強国と強国との間に戦端を開くが如きことは、今後に於てはほとんどあり得べからざることだと思う。

戦争不可能なる理由
 今や国際貿易は進歩し、経済上に於てはほとんど国境を認めざるまでに…

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