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日支親善策如何
にっししんぜんさくいかん
作品ID58123
副題――我輩の日支親善論
――わがはいのにっししんぜんろん
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2020-05-25 / 2020-04-28
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

優大なる天才国
 支那人は優れた古い文明をもっている。またその国は優大なる天才の生れた国で、彼等は古来優大なる思想を遺したので、支那民国も今日存する訳だから、支那民族も国家的生活を必要としないはずがない。しかし、これが境遇の如何によって、また永い時代の悪政によって如何にも変化する。支那人は何としても国家的に団結して、共同の利益のために、いわゆる政治的に国家的に己を捨て、国に尽すという精神が一番欠乏している。今日の世界に於ては結合の固いものが一層優勢であるし、これに反して、結合の弱いものが劣等の地位におち込む。それで支那人の個人性は発達しているが、これに伴う弊はまた決して尠なからず。まずその卑近なる快楽主義と、大それたる利己一天張りに陥るというが如きは見逃すべからざる弊だ。支那の官人には奉公の赤誠が尠ない。彼等はただ単に自己一身の栄誉聞達を欲している。元来儒教の精神はかくの如き積弊を矯むる事に心を尽くしたのであるが、その精神もついに未だ実現されずにいる。そういう弊が段々多くなって、ついに古来の優大なる思想から出来た儒教本来の精神はとられずに、ただ単に文学的に解釈さるるようになった。これを実際に行わないで、文字そのものを美術的に弄んで、儒教の精神そのものは頓と閑却されるようになったのである。ここに於てある人の如きは、支那の科挙の制度を以て始皇書を焼くの害よりも大なりというた。支那を亡ぼすものは科挙の制だというんである。思うに支那民族は種々の中毒性に罹っている。第一に煙毒というて、かの阿片の中毒だ。これはなかなかひどい。第二には経毒というて、即ち経書の毒、いわゆる口に孔孟を説いて身に桀紂を行うというのだ。第三は策毒というて戦国策の中毒、離間中傷、権変詭術は日常茶飯事で、ついには刺客を放って相手を暗殺するというが如きは即ちこれだ。第四はこの科挙の毒だ。こういう種々な中毒に支那人は罹っているんである。そうかといえば、元来支那民族は民族としては決してそれほど劣等なものに非ず、いわゆる毒に中てられているのみだ。それだからもし一朝この中毒から免るることが出来れば、支那民族は世界の偉大なる民族となることが出来るんである。

千載一遇の好機会
 支那は古来政治上にも、軍事上にも、法制の上にも、はたまた文学芸術の上にも大なる天才を出した。そういう優れた民族が中毒性に罹って衰えたのである。それでこれを救うには、宜しく解毒剤を施すに限る。毒を解いてやるのが必要だ。今次数度の革命は一体何から起ったかというに、人に由って色々な観察をなしている。これを以て単に権力の争奪から起ったのであるという者もあるけれども、必ずしもそればかりではあるまい。つまり、西洋の文明――高度なる文明に接触して多年の宿弊を一掃しようと志したので起ったのだと思う。同じく東洋に国を為している日本が逸早く世界的文明の潮流…

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