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夫婦共稼ぎと女子の学問
ふうふともかせぎとじょしのがくもん
作品ID58124
著者大隈 重信
文字遣い新字新仮名
底本 「大隈重信演説談話集」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年3月16日
初出「大和なでしこ 第十二卷第四號」大日本女學會、1912(明治45)年2月15日
入力者フクポー
校正者門田裕志
公開 / 更新2020-09-25 / 2020-08-31
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 近来夫婦共稼ぎという声を盛んに聞く様になった。これは勿論生活の圧迫から来たのであろう。文明の進歩につれて、生活問題が益々むずかしくなって来て、夫婦共稼ぎということもまた避け難き数とはなったのである。然るに中には妻を働かせるのをなんだか夫自身に意久地がないかに思ったり、思われたりするのを非常に恥辱として反対するものもあり、また実際妻が何処へか勤めつつあるを秘して人に語らぬという様な傾きが大方の男子を支配している。また女子の側に於てもそうであって、木に[#挿絵]る蔦葛で、女子は決して独立することの出来ぬものとの思想から、嫁して夫に養うてもらうのが当然である如くに考えている。甚だしきに至っては、花嫁は人形然と床の間に座らしておくのが男の腕であると信じている。ことに近頃は寄席芝居物見遊山の行楽から、身には流行の粋を着飾って、贅沢三昧に日を送りたいという考えで、人の妻になるものも尠なくないとの事であるが、誠に不心得極まる現象と言わねばならぬ。
 これは「人生婦人の身と為る勿れ、百年の苦楽他人に頼る」とか、女は氏なくして玉の輿とかいう如き、東洋流の運命観から出た、弱竹の弱々しい頼他的根性から来たのである。昔はそれで善かったろうが、今日の女子はこんな薄弱な精神ではいかぬ。否夫婦共稼ぎは、昔から今日に至るまで我が国の大部分で盛んに遣っているのである。即ち田舎の百姓がそれである。我が国は農を以て国をなし来ったのであって、商工業勃興の今日といえども、なお且つ全国戸数の六割は農業である。我々月々の生命を継ぐ米穀野菜の類は、百姓の粒々辛苦の産出物であるは言わでもの事であるが、これが夫婦共稼ぎの賜であることを思わねばならぬ。夫は田畑を打つ、妻は雑草を抜くという有様で、小農組織の我が国に於ては、過半は女子の労力に俟たねばならぬのである。
 春の茶摘歌、五月雨頃の田植歌、夏の日盛りの田草取の歌から、秋の哀れも身に泌む砧の音、さては機織歌の如き、苟も農事に関する俗歌俗謡の如きものは、その文句の女性に依って唄わるべく作られてあることを思わば、田舎の女子の農事に対する功労は我々が大いに感謝すべきであると思う。然るに同じ女子である都会の者のみが、夫婦共稼ぎが出来ぬ道理はなかろう。勿論都会生活が田園のそれと同一でなく、夫婦共稼ぎの事情を異にしているから、我輩はすべてに対してこれを可なりとするのではない。個々の場合についてその可否を決すべきであって、ただ夫婦共稼ぎが決して恥ずべき事でなくして、却って人形の様な不生産的な花嫁や、栄耀栄華を目的とする様な虚栄心の強い女子を数めようと思うのである。
 然らば個々の場合とは如何なる場合を指すかと言えば、その妻たる人が特種の技芸があるとか、高等の教育を受けているとかにて、即ちその学問技芸を以て立派に世に働き得る事、そうしてまた家庭の事情がこれを許す事である。…

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