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伊藤左千夫年譜稿
いとうさちおねんぷこう
作品ID58127
著者森 鴎外 / 森 林太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鴎外全集 第二十卷」 岩波書店
1973(昭和48)年6月22日
初出「アララギ 第六卷第十號」1913(大正2)年11月15日
入力者高瀬竜一
校正者nagi
公開 / 更新2024-07-30 / 2024-07-24
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

元治元年。
八月十八日左千夫上總國山武郡成東町殿臺に生る。伊藤良作の四男にして、末子なり。母はなつ。
明治六年 十歳。
小學に入る。
明治十年 十四歳。
佐瀬春圃の塾に入り、漢籍を學ぶ。
明治十四年 十八歳。
春東京に入り、籍を明治法律學校に置く。秋眼を病む。(眼底充血、進行性近視眼)尋いで退學歸郷す。
明治十五年 十九歳。
夏富士山に登る。
明治十八年 廿二歳。
十一月金二圓を懷にして、再び東京に入り、實業家たらんとす。廿二年に至るまで京濱間の牛乳店に使役せらる。
明治廿二年 廿六歳。
春本所區茅場町三丁目十八番地に牛乳搾取業を始む。當時毎日十八時間勞作し、同業者中第一の勉強家と稱せらる。
十一月妻とくを納る。上總國山武郡上堺村新島伊藤重右衞門の長女なり。明治五年八月五日生る。
明治二十三年 廿七歳。
十一月長男剛太郎生る。
明治二十五年 廿九歳。
六月廿五日長男夭す。
明治廿六年 卅歳。
六月十八日長女妙生る。
是年より伊藤並根に就きて茶の湯を學ぶ。同時に和歌の教をも受けしものの如し。
明治廿八年 卅二歳。
十二月廿七日二女梅路生る。
是年伊藤並根と京都に遊ぶ。
明治卅年 卅四歳。
十月卅日三女蒼生生る。
是年より二三年の間桐の舍桂子(關澄氏)の月次歌會に出席す。桂子は橘東世子の門人にして、疲[#挿絵]の病あり左千夫の魁偉を以てして對坐談論す。頗る奇觀なりき。岡麓その席に列してこれを見、後話[#挿絵]となしたりき。左千夫當時春園と號す。
明治卅一年 卅五歳。
是年竹の里人正岡子規「歌よみに與ふる書」、「人々に答ふ」等を新聞「日本」に連載す。左千夫歌の意匠、格調、文學上の地位等に關して、竹の里人と論爭す。「人々に答ふ」の文中春園に答ふる語あり。
明治卅二年 卅六歳。
四月より根岸短歌會を正岡子規の家に開かる。
九月廿一日四女千種生る。
明治卅三年 卅七歳。
一月三日始めて正岡子規を訪ふ。
是月より根岸の歌會に[#挿絵]む。
是年より、正岡子規「日本」紙上に歌を募集す。其の第一囘は「新年の歌」にして、左千夫の作三首入選す。第二囘は「森」の歌にして、三首入選す。第三囘は「櫻」の歌にして、左千夫の作百首中十八首入選す。子規の書ける「第三囘募集歌に就きて」の中に云ふ。「左千夫氏の歌は趣向の平淡なるもの(寧ろ趣向無きもの)を好み、之れを運用するに萬葉の文字を以てす。故に其の佳なるものは萬葉に出入し、然らざるものは無味乾燥に陷る。」
七月長塚節と日光に遊ぶ。「日本」の募集課題「瀧」の歌を作らんためなり。
九月「日本」の募集課題「松」の歌を作りに、駿河興津に遊ぶ。二日間に作る所の長短歌若干首ありしを、皆棄てらる。
十月「ホトヽギス」に「草花日記」を發表す。
同月結城素明と再び日光に遊ぶ。
明治卅四年 卅八歳。
二月「ホトヽギス」に「牛舍の日記」を發表す。
六月二男生れ、…

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