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独り碁
ひとりご
作品ID58132
著者中 勘助
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆88 石」 作品社
1990(平成2)年2月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2017-11-26 / 2017-10-25
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昭和三十三年十二月
 家のない私は三十前後のころ谷中の真如院という寺に仮寓していた。そのじぶん上野公園から谷中の墓地へかけては何千本という杉の老木が空をついて群立ち、そのほかにも椎、樫、もち、肉桂などの古い闊葉樹が到る処繁ってたので、昼でも薄暗くしんめりとしていかにも私向きのところだった。それに真如院をはじめその辺一帯に集まってる寛永寺の末寺はほとんど墓地をもっていないためお詣りや葬式がなくすっきりと閑寂を極めていた。真如院も紀州家の位牌を預ってるだけゆえ盆暮? に僅の時間参詣があるだけ、住職の人は大師堂へ詰めきりでたまに帰るだけだし、小坊さんは学校へゆくし、あとは寺男の爺やと私だけになる。
 頑丈な門をはいると正面玄関まで二十間ばかりの石敷路、玄関から二部屋とおって縁側を三曲り、本堂のまえをずーっとこした行止りの六畳の離れが私の部屋で、北側にはきだし窓があり、障子をあけると綺麗に苔のついた座敷の庭、寒山竹のひとむらが繁っている。南は四日垣に囲われた坪になって孟宗の木蔭に木の灯籠一つ。暮れぐれになると宿りにくる鳩が一羽。日あたりが悪くて冬はしみじみと寒いかわりに読書や瞑想にはうってつけのところだった。随筆「孟宗の蔭」はここで出来たものである。そこに引籠った私は山門を境に世間と出来るだけ交渉を断ち、次第によっては僧籍にでも入りかねない気もちだったけれど終にそこまでにはならなかった。それほど私は俗界の紛紛に悩まされたのだった。隠棲の隠棲らしさはむしろかえって煩悩熾盛の若い時にこそある。そこには俗界の生活とのあいだにはっきりと明暗黒白のけじめが出来る。今のように七十も幾つかこしてはどこに何をしていてもそのままが既に半ば隠棲的である。
 さて独り碁の話に。そういう隠遁孤独の生活のなかで私は時たま碁を置いて楽しむことがあった。殊に水晶のごとく冷たく冴えた冬が独り碁の好季節である。碁は仙中の俗というが、それは素人がいかに単純に娯楽としてやるにしても盤上の利害と勝負を無視することはできないからであろう。しかし独り碁はその「俗」を脱却させる。一手一手の得失と終局の勝負を忘れてしまっては碁が成立しないけれども古碁名局を置くとなればそれは自分の得失ではなく、敵手との勝負でもない。第三者として見る盤上の石の配列の利害であり、勝敗であるに過ぎない。名誉と家禄を賭けた血の出るような争い碁も興ある烏鷺の戦となる。しかも交互におく黒白の一石は自分の恥しい俗手凡手ではなくて本因坊の、井上因碩のそれである。そこに独り碁独特の清澄さ、気安さと奇異なうま味がある。私はまず黒石を右手の指先に挟んでパチリと最初の一石をおく。いわば幾億千万の星のなかでその美しいいや先の光輝を放つ宵の明星である。ただこれは碁盤の経緯度のうえに漆黒の光沢を放つ。昔のさる学深い棋聖は当時の天文学? を下界の盤上へひきおろ…

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