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曠日
こうじつ
作品ID58144
著者佐佐木 茂索
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 45 水上瀧太郎 豐島與志雄 久米正雄 小島政二郎 佐佐木茂索 集」 筑摩書房
1973(昭和48)年8月30日
初出「文芸時代」1924(大正13)年10月
入力者大野裕
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-12-01 / 2023-11-26
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 兄は礼助の注いで出した茶の最後の滴りを、紫色した唇で切ると、茶碗を逆に取つて眺めながら、
「今どき螢出のこんな茶碗なんか使ふの止めや。物欲しさうであかんわ。筋の通つたのがないのなら、得体の知れんものでも使うたがええ。茶を頭葉つかふのなら、それ相応につろくせんとあかんでな。」かう云つて一寸黙つたが、突兀として、
「――お前まだ独りか?」と問うた。
 礼助は苦笑と共に答へた。
「驚いたな。いくら僕だつて、結婚でもすれば兄さんに知らせますよ。」
 すると兄は、あははと大きく笑つてから、
「そらそやろな。――どうも埃り臭いでな。独り身といふやつは、何としても埃りくさい。何ぼ掃除しても家中が埃り臭い。埃りが有る無いの問題やない、埃りを消す匂ひがないのやでな。――いいかげんに貰うたらどうや?」と云つた。
「埃くさいか。名言だな。」
「埃はどうでもいいがな、どうや、貰うたらどうや?」
「いいのがあれば何時でも貰ひますよ。」
 礼助としては、此種の質問にしばしば遭つてゐるので、何時も決つた返事をするより他に仕方がなかつた。
「どんなのがええのや? 参考に聞いて置かう。わしの心当りにないとも限らんでな。」
 兄の単刀直入に礼助も気軽な返事をした。
「実枝さんみたいな気立の人ならいい。」
「実枝みたいな? そんならどうや一層のこと実枝を貰つたら?」
 礼助は特に実枝の事を云ふつもりではなかつた。兄弟共通に知つてゐる女性では、他に適当の心当りがないので、差当り此の従姉の娘を挙げてみたまでであつた。しかし、兄から、そんなら実枝を貰つたらと云はれると、不意に顔が固くなるのを覚えた。では、やはり、そつと収つて置いたものを礼助は口に出したのだらうか。礼助は否、と云ひ切れはしなかつた。彼は固いままの顔を些か赤くして、咄嗟に何とか云はなければならなかつた。
「でも子供があるからな。」
「子供がなければいいのか?」
「そんな事云つても無理ぢやないか。子供があるんだもの。」
「子供を他所へ遣ればどうや?」
 この兄の語気は強かつた。礼助はへたばりさうになりながら、辛うじて、
「さうもいかん。」と云つた。「――考へておく。」
「さうか。」
 短く云つて兄は、また、
「さうか。――お前、一度京都へ来たらどうや。何ならわしの帰るとき一緒に行かんか。もう一年位行かんのやろ?」
「さう、一年くらゐ行かんかも知れん。一緒といふ訳にもゆかんが、――そのうち行きます。とにかく久しぶりだから。」
「そんならお出で。待つてる。」
 兄は猶一碗の茶を喫すると、腰を上げてから、
「一寸用達して、そのまま夜行で帰る。もう寄らんよ。」
「ぢや送りません。御機嫌よう。――あ、だけど京都へお帰りになつても黙つてゐて下さい。でないと僕行つても一寸具合が悪いし、第一行きにくくなるから。」
 兄は承知して帰つて行つた。

二…

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