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秋月先生の古稀を祝して
あきづきせんせいのこきをしゅくして
作品ID58146
著者小泉 八雲
翻訳者田部 隆次
文字遣い旧字旧仮名
底本 「小泉八雲全集第十二卷」 第一書房
1927(昭和2)年11月20日
初出「鎭西餘響」1893(明治26)年5月
入力者フクポー
校正者館野浩美
公開 / 更新2018-07-02 / 2018-06-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 秋月老先生、――
『世界に於ける最も丁寧なる人々』の禮儀を知らない私、それから上品にして美はしい種類の挨拶の言葉のあるその國語を知らない一外國人である私は、私の恭しき賀状を御送り申上げる場合に、私の云ふべき事が云へないやうに感じます。即ち日本語には、尊敬すべき年齡に相當する愛情、尊敬、及び信任を、私共の粗い西洋のどの國語に於けるよりも優美に表はす多くの美しい言葉があると私は考へるからです。そこで先生が、一時西洋でも人生の極度であると云はれた『二十の三倍と十』の尊き年齡に達せられた事について、今日祝賀をあげて居るところです。
 しかし、私が殆ど知らない色々の儀禮に巧みな人々は、先生自身の巧妙な國語で云へる事を申しませう、――そこで私自身の下手な西洋風で私の考と願を書いて見る事にいたします。――つぎのやうに、――
 秋月先生、私は熊本に參りました時に、どの外の先生よりもさきに先生に遇ひました。そして私は先生に話はできなかつたが――私の心は先生を理解して先生を愛しました。それからさき、凡ての季節、凡ての天氣に、私は先生が學校へ參られ、又歸られるのを見ました。毎日教へに御出になる時、いつでも私共の銘々にいつも親切な挨拶と、凡ての生徒にやさしき微笑と、先生の通路に居るどんな卑い者にもやさしい言葉とうなづきを與へて、決して疲れた風や、不機嫌な樣子を表はされない事を私は見てゐました。この事は私には甚だ愉快でした、その事それ自身ばかりではなく、――又私が疲れたり、元氣がなかつたり、或は雨の日やひどく寒い日で、不機嫌であつたりした時に、よい教訓となつたからです。そんな時に私は自分に申します、――『ここに私共一同に對する先生、決して疲れない先生、そしてその人の魂はいつでも樂しさうな先生がある、――どうして私は不平が云へよう』そしてこの通り、先生が寒い朝、教官室へおはいりになる時、先生は私共一同に對して快活と暖かさをもつて來て下さつたやうでした、――その暖かさはいつも餘りよく燃えてゐなかつた私共の火よりもつと暖かでした。それから私は先生達の宴會で先生を見ましたが、先生が出席なさると誰でも愉快になります、そして先生は最も若い人と同じやうな若々しい心でその樂みを共になさいました。
 そこで今私共は七十歳の今日強壯で、元氣な先生を見て、――一同尊敬崇拜すると共に、又子供がその父を愛するやうに愛します。そして私の願ふところは、將來長くこの日がくりかへしかへつて來る事、――先生が又外の新しい先生達と引續き教へて下さるやうに長生きして下さる事、――それから又新しい時代の生徒の敬愛を得られる事であります。
 それでこれだけの願と希望とをもつて、私は御健康のために祝盃をあげます。
一八九三年五月十三日
九州熊本 ラフカデイオ・ヘルン



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