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雨粒
あまつぶ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本近代随筆選 1出会いの時〔全3冊〕」 岩波文庫、岩波書店
2016(平成28)年4月15日
初出「新短歌」新短歌発行所、1939(昭和14)年11月20日
入力者岡村和彦
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2018-01-19 / 2017-12-26
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 そろそろさみだれの季節がやって来る。
 同じく雨ではあっても、ふしぎに季節や環境によってその感じは非常にちがっている。それで我国では雨にいろいろな名まえがつけられている。春さめ、さみだれ、しぐれ、驟雨、ゆうだち、霧雨、小糠雨、その外にもなおあるであろう。そう云う雨のいろいろな感じのなかには、雨の音がかなりな役目をはたらいている。さみだれの静かに降りそそぐ音とか、ゆうだちの激しくものを撃つ音とか、音もなくひっそりと濡らしてゆく小糠雨とか、みんなそれぞれの趣きをそなえているのである。
 ものしずかに雨の音を聞いていると、いろいろな記憶が心のなかによみがえって来るのも、一つのなつかしげな風情である。
 ところで、ちょっと見方を変えて、雨というのはたくさんの水粒が空から生れて、地上に落ちて来るものだと考え出すと、恰もそれらが人間の運命を象徴しているようにも思われる。こういう水の粒にもいろいろの大いさのものがある。眼で見ると、雨は普通に細い線につながって見える。雨の落ちるのはそんなに速いのではないが、それでも人間の眼はその粒を見分けるわけにはゆかない。
 そこで雨粒の大いさを測るのにはどうしたらよいか。気象学では、そのためにちょっとおもしろい方法をつかっている。それは雨粒の落ちるのを吸取紙で受けて、紙の上に滲み拡がる面積を測るのである。それから別に半径のわかっている水粒を同質の吸取紙に滲ませてその面積を雨の場合と比較すれば、これから雨粒の大いさを知ることができようと云うのである。
 この方法は科学的にはさほど精密だとは云い難いが、雨粒の大いさなどは個々にそれ程精密に知る必要はないのであるし、大体の平均がわかればよいのだから、これでも十分に間に合うのであろう。私がそれをおもしろいと云うのは、雨が何事もなく落ちている間は、人間の眼でその大いさなどはっきりとわからないのに、紙で受けとるとそれがはっきり見えるようになると云うことである。生きているうちはさほどとも思われない人間が死ぬと急にその偉さが世間に認められると云うことなども、之と似ている。
 すべてもの事はこれと同じである。たいした変り方もなく続いている間は、そう云う事があると承知していながら、人間はとかくぼんやりと見過ごすだけである。そしてそこに何かの事変が起ると、始めてその正体を認めて、今更のように慌て驚くことすらある。また病気などの場合でも、身体のなかに潜んでいる間は、たとえ自分で承知していても、まあ、どうにかなってゆくと、たいして気にも留めずにいるが、それが何かの反応を起すようになると、これではならぬと、今更その重大さを気にするようになる。これらは人間の通性で仕方のない事だと云ってしまえば、それ迄である。併し事の起らない先にその赴くところをはっきりと見究めることこそ、社会や人生や、その他すべての仕事にとってどれ…

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