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雨瀟瀟
あめしょうしょう
作品ID58169
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「雨瀟瀟・雪解 他七篇」 岩波文庫、岩波書店
1987(昭和62)年10月16日
初出雨瀟瀟「新小説」1921(大正10)年3月<br>雨瀟瀟序「雨瀟瀟」野田書房、1935(昭和10)年9月
入力者入江幹夫
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-12-03 / 2017-12-05
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その年の二百十日はたしか涼しい月夜であった。つづいて二百二十日の厄日もまたそれとは殆ど気もつかぬばかり、いつに変らぬ残暑の西日に蜩の声のみあわただしく夜になった。夜になってからはさすが厄日の申訳らしく降り出す雨の音を聞きつけたもののしかし風は芭蕉も破らず紫苑をも鶏頭をも倒しはしなかった――わたしはその年の日記を繰り開いて見るまでもなく斯く明に記憶しているのは、その夜の雨から時候が打って変ってとても浴衣一枚ではいられぬ肌寒さにわたしはうろたえて襦袢を重ねたのみか、すこし夜も深けかけた頃には袷羽織まで引掛けた事があるからである。彼岸前に羽織を着るなぞとはいかに多病な身にもついぞ覚えたことがないので、立つ秋の俄に肌寒く覚える夕といえば何ともつかずその頃のことを思出すのである。
 その頃のことといったとて、いつも単調なわが身の上、別に変った話のあるわけではない。唯その頃までわたしは数年の間さしては心にも留めず成りゆきのまま送って来た孤独の境涯が、つまる処わたしの一生の結末であろう。これから先わたしの身にはもうさして面白いこともない代りまたさして悲しい事も起るまい。秋の日のどんよりと曇って風もなく雨にもならず暮れて行くようにわたしの一生は終って行くのであろうというような事をいわれもなく感じたまでの事である。わたしはもうこの先二度と妻を持ち妾を蓄え奴婢を使い家畜を飼い庭には花窓には小鳥縁先には金魚を飼いなぞした装飾に富んだ生活を繰返す事は出来ないであろう。時代は変った。禁酒禁煙の運動に良家の児女までが狂奔するような時代にあって毎朝煙草盆の灰吹の清きを欲し煎茶の渋味と酒の燗の程よきを思うが如きは愚の至りであろう。衣は禅僧の如く自ら縫い酒は隠士を学んで自ら落葉を焚いて暖むるには如かじというような事を、ふとある事件から感じたまでの事である。
 十年前新妻の愚鈍に呆れてこれを去り七年前には妾の悋気深きに辟易して手を切ってからこの方わたしは今に独で暮している。興動けば直に車を狭斜の地に駆るけれど家には唯蘭と鶯と書巻とを置くばかり。いつか身は不治の病に腸と胃とを冒さるるや寒夜に独り火を吹起して薬飲む湯をわかす時なぞ親切に世話してくれる女もあらばと思う事もあったが、しかしまだまだその頃にはわたしは孤独の佗しさをば今日の如くいかにするとも忍び難いものとはしていなかった。孤独を嘆ずる寂寥悲哀の思はかえって尽きせぬ詩興の泉となっていたからである。わたしは好んで寂寥を追い悲愁を求めんとする傾さえあった。忘れもせぬ或年……やはり二百二十日の頃であった。夜半滝のような大雨の屋根を打つ音にふと目を覚すとどこやら家の内に雨漏の滴り落るような響を聞き寝就かれぬまま起きて手燭に火を点じた。家には老婢が一人遠く離れた勝手に寝ているばかりなので人気のない家の内は古寺の如く障子襖や壁畳から湧く湿気が一際鋭く…

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