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副題〔私は美術のことに〕
〔わたしはびじゅつのことに〕
著者高村 光太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「高村光太郎全集第五卷」 筑摩書房
1957(昭和32)年12月10日
初出「令女界 第十八巻第十二号」宝文社、1939(昭和14)年12月1日
入力者岡村和彦
校正者nickjaguar
公開 / 更新2019-04-02 / 2019-03-29
長さの目安約 1 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 私は美術のことに從つてゐる者なので、この世の美について常に心を用ゐざるを得ない。そして世人の普通考へてゐるやうな眼や感情に、ただ奇麗に見える事物を直ちに美なりとする考へ方を、もう一歩深めてもらひたいと熱望してゐる。
 美とは決してただ奇麗な、飾られたものに在るのではない。事物ありのままの中に美は存するのである。美は向うにあるのではなく、こちらにあるのである。芋蟲は身ぶるひの出る程いやだといふ人達が、蠶はおこさまと言つて吾が子のやうに愛しいつくしむ。それを莊子のやうに、利のあるところに愛ありと解するのは誤であつて、事物に深く親しみ、事物を深く觀察するところから自然とその美を感ずるに至る好例なのである。戰場にある軍人が多く歌俳句を好むやうになるのは一切を洗ひ流した魂がおのづから深い美を萬物に求めるからであらう。美を淺い、うはべなものと思はないやうにしたい。



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