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西隣塾記
せいりんじゅくき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「文学界 第三巻第九号」文藝春秋、1949(昭和24)年11月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-11-15 / 2018-10-24
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 こないだ電車の中で新国劇の「大菩薩峠」上演の広告ビラを見かけた。中里介山居士追善興行としてあった。この芝居の上演も久し振りな気がする。介山居士は戦争中、生れ在所の西多摩郡の羽村で急逝された。あれは何年のことであったろうか。救世軍の秋元巳太郎氏が葬儀委員長をされたという簡単な新聞記事を読んだ記憶がある。逝くなられた月日のことを私は覚えていない。また今年は何回忌に当るのか、それも知らない。
 私は嘗て介山居士の「千年樫の下にて」という随筆集を愛蔵していた。見返に居士の筆で「質直意柔軟」と書いてある。私の愛読書の一つであったが、手許不如意の折に、鳴尾正太郎君がくれたフランシス・ド・サールの書簡集と一しょに、ほかの本とまとめて売り払ってしまった。私には介山居士という人はなんとなく忘れ難い人である。そうして居士のことを憶うときにはまたいつも鳴尾君のことを憶う。
 最早十余年の昔になるが、私は一時、介山居士の経営になる羽村の西隣塾にいたことがある。早春から秋ぐちにかけての半歳ほどの間であった。私はすでに二十五歳にもなっていて、最早親の臑を齧っているのも工合が悪くまた家庭の事情もいつまでも私を養うわけにはゆかなくなっていた。羽村にゆく前日本橋の本町にあった大菩薩峠刊行会の事務所で初めて会った時、介山居士は云った。「瞑想したり、近隣の山野を散歩したりし給え。」
 三月の上旬であった。立川で青梅線に乗り換えて羽村で下りた。生えはじめたばかりの麦畑や枝の芽吹いていない桑畑が見えて、まだ雪の消えずに残っている武甲の山脈が眼に迫ってくる感じだった。土地の人が「記念館」と呼んでいる西隣塾の文化瓦の赤い屋根が突き当りに見える、桑畑の間の一本道を歩いてゆくと、前方から自転車が走ってきたが、私を見かけると飛び下りた。
「小山さんですか?」
「そうです。」
「中里先生から通知がありました。待っていました。右手に建物が見えますね。あれは印刷所ですが、あそこに皆さんいますから。」
 それが鳴尾君だった。鳴尾君はそこまで買物にゆくがすぐ帰ると云って、また身軽に自転車に飛び乗った。十七八の少年に見えた。黒の、ボタンも黒のだぶだぶな詰襟服を著ていて、眼のクリクリした、熊の子のような可愛い顔つきをしている。私は振り返って走ってゆく自転車の後姿を見送った。鳴尾君の微笑がとてもよかったからである。「クオレ」の中に出てくる少年のような印象を受けた。
 印刷所の戸を開けると上端にストーブがあって、二人の人がちょうど一服しているところであった。介山居士の甥御さんに当る村木さんと田中澄徹さんであった。私は村木さんの顔を見てなんだか見覚えがあると思った。すぐ思い当った。聖徳太子に似ているのだ。国定教科書の挿絵にある太子像によく似ているのだ。あの肖像はばかに頸長に描いてあるが、村木さんの頸が丁度あんな工合であった。村…

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