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その人
そのひと
作品ID58192
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「八雲 第三巻第六号」八雲書店、1948(昭和23)年6月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-08-03 / 2018-07-27
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 連れられてきた私を見てその人は云った。
「なんだ、またかえってきたのか。いくじなしめ。」
 私はその時鈍く笑っただろうか。その人が言葉をかけてくれたのには、それでホッとする気持があったのだ。かえりたくないところへかえされた、私はそうした心でいた。
 私は中ほどの場所に仕事の席をあてがわれた。私のすぐうしろのへんにはさきの日の馴染みの者達がいた。皆なにかと私に話しかけた。舎房もきっと一緒になることだろうと云ってくれた。さすがに私もしたしみを引き出されたが、でも気持はなじめなかった。みじめな気持を持ちつづけたまま、ただ仕事の手を動かしていた。……私はかえりたくないところへかえされてしまったのだ。その前日、よそへ移されるという、また元のところへゆくのだともいう話を聞いて、元のとこへはかえされたくないと思った。かつていたあの空気の中へは、(そこではみんながここよりも減った量の飯を食べている)……あの人の顔の下へまたまいもどるのは嫌だった。無性に嫌だった。けれど私はかえされてしまったのだ。
 御飯の時、役目の者が配る飯を抱えている箱の中に突きの小さいのを見、私は悲しい腹立たしい気持で見た。それまでいたとこではもっと沢山だということを私は仲間に話したりなどした。
 と、「厭々やっているようだな。」その人の咎める声がした。そしてその人は足早に私のとこへきた。私はべそをかいた、幾分ふてくされた感じだったのだ。
「フーン、これだけやったのか。」
 その人はゆるめた口調で云った。私のそばに屈みこみ、私の顔を覗いて。私は少しくやけな気持で余念なかったので、いくらか仕事がはかどっていたのだ。
「もっとまめに手を動かすんだよ。」
 そう云ってその人は手づからやって見せた。その人の手は大きかった。その手は手早く麻を綯っていった。私より巧みであった。私はねんごろなものの伝わってくるのを覚えた。私はその人の躯を身近かに感じ、女々しい感情に催された。
 舎房はやはり仲間の云ったとおりだった。私は知らぬ顔の中に新しくまじる心細さを味わずにすんだ。

 その人はここの看守の一人で、そのとき十一工場の担当をしていた。私はその人の下にいた。日々工場に出て麻を綯う(鼻緒のしんをつくる)仕事に従っていた。はじめてその人の前に出て二、三の受け答えをしつつ、この人に看てもらうのだなという感じを持った。その人の様子にも新しく自分の監督の下に入ってきた者に向う気分があった。初対面で私はやさしく看られるものを感じた。その人は私に「お前、本読みが出来るか?」と問い、私にその役をあててくれ、最初の日から私は昼休みには仲間のために本を読んだ。私は女々しい人間で、なにかと自分のうえにその人の心を感じ、それを頼む心になっていた。私は仕事がいい成績でなかった。横鼻緒のと前鼻緒のとあって、横鼻緒の従業の方が多く、私もそれだっ…

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