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遁走
とんそう
作品ID58193
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「新潮 第五十一巻第一号」新潮社、1954(昭和29)年1月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-11-15 / 2018-10-24
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は中学校の三年生のとき、家出をしたことがある。原因はいまだから話すが、幾何の宿題をなまけて、先生から叱られるのが恐かったからである。
 私の学校の幾何を担任していた先生は、とても恐かった。まだ若い人だったが。独身だったか、妻帯していたか、そんなことはわからない。いま想像してみても、どちらとも見当はつかない。独身であったかも知れないし、あるいは妻帯していたかも知れない。色黒で、痩せていて、目が光っていた。神経質の方だろうな。そう、一寸フィリッピン人のような感じがした。
 私はいまでも、あの先生がどうしてあんなに怒ったのか、わからない。察しがつかない。問題を当てられても解けず、黒板の前で立往生をしていると、また宿題をやって来なかったのがばれたりすると、先生は怒った。その怒り方は実に恐かった。怒るばかりでなく、生徒の頭をこづいたような気もする。なにしろ恐かった。なにもあんなにまで怒らなくとも、いいのではなかろうか。ともかく、生徒に対してあんな風に怒り、そして叱った先生の心理は、私にはどうにも見当がつかない。あれは少し異常ではなかろうか。それとも、そんなにまで先生を恐怖した私の方が異常だったのだろうか。明日幾何の授業があるという前日は、私は憂鬱でかなわなかった。私が憂鬱という感情をしみじみ実感したのは、私の人生に於ては、このときが最初ではないかと思う。
 月曜日には幾何の授業があった。私は朝飯の途中で、茶碗と箸を膳の上に置き、顔を顰めて、母に訴える。
「おなかが痛いよ。」
「お前またきのう蜂蜜を呑んだんだろう?」
「うん。」と私はいかにもしおしおとした顔つきをしてうなずく。
「だから、もう呑んじゃいけないって、あれほど云ったじゃないか。」
 私はその頃、日曜日には大抵浅草公園へ行って映画を見て、帰りには瓢箪池の際に出ていた屋台の蜂蜜屋で蜂蜜を呑んだ。一杯五銭でなかなかおいしかった。蜂蜜はおいしかったが、明日の幾何の授業のことを考えると、憂鬱であった。遂にある朝私は仮病をつかい、腹が痛いといつわって学校を休んだ。而もその腹痛の原因を、昨夜呑んだ蜂蜜のせいにした。蜂蜜こそはいい面の皮である。それからは私は月曜日にはきまって腹痛を起すようになった。いつも原因は蜂蜜であった。親というものは有難いもので、そんな他人ならばやすやすと見抜いたであろうような嘘を信じてくれた。
 けれども私も、流石にいつまでもそんなに腹痛ばかりを起し、そしてそれを蜂蜜のせいにばかりはしていられなくなった。そこでとうとうある朝、家出をしなければならぬ羽目になった。後になっては私も、学校へ行ったふりをして浅草公園で映画を見て時間つぶしをするような、そんな不埒な真似をするようになったが、その頃はまだそんな手を思いつかなかった。学校へ行かないと決心したからには家出をするよりしようがないと単純に思いつめて…

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