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朴歯の下駄
ほおばのげた
作品ID58194
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「人間 秋季増刊号」目黒書店、1949(昭和24)年11月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2019-01-14 / 2018-12-24
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 むかしの話だ。
 私がそのみせの前を通ったとき、そこの番頭さんが、
「よう、前田山。」
 と私のことを呼びかけた。その頃私は廓を歩くと、いつも「応援団長」とか「朴歯の旦那」とか呼ばれた。私は久留米絣の袷を着て、袴をはいて、そうして朴歯の下駄をガラガラ引き摺って歩いていたのである。私にはそのほかにどんなよそゆきの持ち合せもなかったのだ。「前田山」は頬をほてらせてみせの中へ入っていった。私はもう上気していて、履物を脱いでしまったような気持になっていた。番頭さんは、
「学生さんには、またそのように、遊んでいただきます。」
 など殊勝なことを云った。私はすでに学生ではなくて、貧しい勤人の明け暮れを送っていたのであるが、日没頃の物悲しさをもてあますようになっていた。番頭さんは私の顔を窺って、
「若いのがいいでしょう。」
「うん。」
 番頭さんは初見世と書いてあるびらを指さし、
「この妓がいいでしょう。今日でまだ三日にしかなりません。」
 私はまずその妓の印象を得たいと思い、そこに並べてある写真の中を探してみたが、見つからない。私は決して気難しい男ではないが、ただあまり邪慳な感じのする女には、ぶつかりたくないと思った。
「写真ないね。」
「ええ、写真はいま作製中です。おとなしい可愛い妓ですよ。十八ですよ。」
 番頭さんは私の心中の当惑を見ぬいたような口をきいた。私は少しく心許ない気もされたが、登楼した。こうして私は彼女を知った。可愛いという言葉は必ずしもいつわりではなかった。私は彼女の細い眼や低い鼻に親しみを惹きだされた。
「君の写真は作製中だそうだね。」
「ええ、まだ出来てこないの。」
「君はいつからみせに出たの?」
「今日で十二日になるわ。」
「君は十八だって?」
「ううん、十九。」
 十八ではまだ身売りのできないことを彼女は説明した。番頭さんは日数のことも年齢のことも二つながらさばを読んだわけであるが、それは番頭さんとしても一生懸命のところだったのだろう。私には彼女の素直でごく当り前な感じのするのが好ましかった。廓で働く女の多くがそうであるように、彼女もまた百姓娘であった。彼女の発音には鄙びた響があって、そうしてどことなく野の匂い、土の香りのようなものがまだ消えずに残っている感じだった。私は彼女の顔を見ながらあねさん被りが似合うだろうと思い、空に雲雀の囀る畑の中にいる彼女の働く姿を容易に想い浮かべることができた。
 翌朝、彼女に附き添われて洗面所へいった。私が顔を洗っている間、彼女は私の袂が水に濡れないように両掌でつかんでいた。私の脇にも客が一人いて、やはりその相方がなにかと気を配っていた。彼女たちには互いにいっそう客を大事にする風情が見られた。おそらく朝の廓の随処に見られる風景であろう。
 帰るとき、下駄を履きかけている私の袂を彼女は控えて、
「また来てね。」…

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