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安い頭
やすいあたま
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年3月10日
初出「新潮 第四十八巻第十号」新潮社、1951(昭和26)年9月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2019-01-14 / 2018-12-24
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 下谷の竜泉寺町という町の名は、直接その土地に馴染のない人にも、まんざら親しみのないものでもなかろう。浅草の観音さまにも遠くはないし、吉原遊廓は目と鼻のさきだし、お酉さまはここが本家である。若しもその人が小説好きであるならば、「たけくらべ」にゆかりのあるこの町を、懐かしくも思うであろう。だいぶまえのことであるが、一葉の記念碑がその住居の跡に建てられて、電車通りにある西徳寺で、故人を偲ぶ講演会が催されたことがあった。馬場孤蝶、菊池寛、長谷川時雨の三人が来て話をした。故人と昵懇であった孤蝶老が、往時一葉が子供相手に営んでいた一文菓子屋のことを、「如何にも小商売」と云った口前を、私はいまなお覚えている。私はまたそのとき初めて菊池寛の風貌をまのあたりにした。時雨女史が自分のことを「私のようなしがない者が」というような謙遜な言葉づかいをしたとき、私の隣りに腰かけていた若い女性が「まあ、いやな先生。」という嘆声をもらした。時雨女史の知合いであったのだろう。みなむかしの夢である。昭和二十年の三月十日に空襲に遭って、この町も無くなってしまった。吉原土手のへりにわずかに一郭焼け残っているに過ぎない。焼け跡にもだいぶ新しい家が建ったようではあるが、住む人の顔が往時と変っているのを見るのは、懐かしさを削がれるようで、いやなものである。
 私は昭和十二年の夏に、竜泉寺町の茶屋町通りにあるY新聞店の配達になった。そして二十年の三月十日に焼け出されるまでここにいた。もっとも終りの三年間は徴用されて、三河島の日本建鉄工業株式会社に通っていた。私はまる五年というものを、一つ土地で新聞配達をして過ごしたわけである。二十七歳から三十二歳の間のことである。こともなく過ごしてしまったようではあるが、顧みると、私の半生のアルト・ハイデルベルヒはこの間にあるように思われる。ある若い詩人の「町」という詩にこんなのがある。

小さな町であった
それでも町の匂いがした
煤煙が流れていた
おしろいの匂いがした

 私は自分が新聞配達として五年間の朝夕を送った竜泉寺町とその界隈の思い出を、そこに住んでいた人たちのことを綴ろうと思う。おそらく私にふさわしい青春回顧の仕方であろう。知らない人は意外に思うであろうが、購読者と配達の間柄は存外親しみに溢れたものなのである。殊に下町では。それもごみごみした処では一層。たとえば山の手などでは、門口にとりつけた郵便箱などに新聞を入れてくるだけの話なので、一年配達しても二年配達しても、その家の主人がどんな顔をしているのか知らないというような場合もあり得る。つまり水臭いわけである。ところがこれが下町になると、それも竜泉寺界隈のような処だと、みせやが多いし、またしもたやでもがらっと門口をあけると一目で家内中が見渡されるような家がざらなので、毎日のことではあるし、自然親しい口をききあ…

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