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メフィスト
メフィスト
作品ID58197
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「落穂拾い・犬の生活」 ちくま文庫、筑摩書房
2013(平成25)年 3月10日
初出「東北文学 第三巻第八号」河北新報社、1948(昭和23)年8月1日
入力者kompass
校正者時雨
公開 / 更新2020-06-19 / 2020-05-27
長さの目安約 59 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

まえがき

 これは終戦直後、太宰さんがまだ金木に疎開中で、私独りが三鷹のお家に留守番をしていた時に書いたものです。その後太宰さんが上京なさって、入れかわりに私は北海道に渡りました。その際私は書いたものはみんな太宰さんにお預けしてゆきました。今度太宰さんが亡くなられたので上京しましたら、太宰さんはこんな作品のことも心にかけて下さったようで、題名も「メフィスト」と改題されており、なお末尾に書かでものつけたしもあったのですが削ってありました。太宰さんが存生なればこそ、私としても甘えてこんな楽屋落のものも書いてみたわけですが、いまとなっては読者諸兄の寛容を頼んで、追悼の笑い話の種ともなればと思います。


「ごめん下さい。」
「はい。」
「太宰先生は御在宅ですか?」
「太宰さんはいま青森に居られますが。」
「疎開なさったのですか?」
「こちらから甲府へゆかれましてね、甲府で罹災して、それからお国へお帰りになったのです。」
「青森の御住所はどちらでしょうか?」
 訪問者は手帳を取り出す。秋はゆっくり云ってあげる。
「青森県、北津軽郡、金木町、津島文治方です。お兄さんのところです。」
「こちらへは、もうお出にならないのですか。」
「いいえ、いずれお帰りになります。いまのところ僕が留守番というわけです。」
 以上の如く私はいまこの三鷹の草屋に独り起臥しているのであるが、ここには毎日のように訪客があり来信がある。云うまでもなく私にではなく、みんな太宰さんへのお客であり便りである。そのつど私は玄関に出て応対し、信書は青森へ向けて回送する。これは、いわば私の日課の如きものである。雑誌社の人、大学生、時に妙齢の女性が玄関に立つのだが、私はこのほど漸くこの日課に対して、ひどく倦怠を催すと共に、また事務の煩雑をも感じてきた。なんだか自分が郵便局の窓口にでも坐っているような気がしてきたのである。ただもう芸のない話で、一種やりきれぬ気持にさえなってきた。なんでえ、いつも太宰、太宰って、たまには小山先生は? 位のことを云ってもよさそうなものじゃないか。これは嫉妬であろうか? いわば無名が有名に対する嫉妬というものであるかも知れぬ。そしてこの私の嫉妬感は相手が女性である場合、全身を掻きむしりたくなるほどの衝動をさえ私に覚えさせたのである。太宰先生は青森と聞いて未練気もなく立ち去ってゆく女性の後姿を、憎々しい眼で見送る日が重なった一夜、私はある不逞の願望を胸に抱いた。ファウスト劇の中にメフィストフェレスがファウスト博士に化けて訪問の学生をあしらう一齣があるが、私はあれを思いついたのである。いわば太宰宗の信奉者たる善男善女に対して、祖師に代って法を説いてやろうという気になったのである。私も相当な馬鹿者である証拠には、そう思い立つとその不穏計画にわれから有頂天になり、ほのかに生甲斐をさえ感じてき…

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