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銭形平次捕物控
ぜにがたへいじとりものひかえ
副題182 尼が紅
182 あまがべに
著者野村 胡堂
文字遣い新字新仮名
底本 「銭形平次捕物控(九) 全十冊」 角川文庫、角川書店
1958(昭和33)年6月20日
初出「オール讀物」文藝春秋新社、1948(昭和23)年5月号
入力者結城宏
校正者江村秀之
公開 / 更新2020-04-10 / 2020-03-29
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



「親分、変なことがあるんだが――」
「お前に言わせると、世の中のことは皆んな変だよ。角の荒物屋のお清坊が、八五郎に渡りをつけずに嫁に行くのも変なら、松永町の尼寺の猫の子にさかりが付くのも変――」
「止して下さいよ、そんな事を、みっともない」
 銭形平次と子分の八五郎は、相変らずこんなトボケた調子で話を運ぶのでした。平次の恋女房のお静は、我慢がなり兼ねた様子で、笑いを噛み殺しながら、お勝手へ逃避してしまいました。
「何を言うんだ、そいつは皆んなお前が持って来たネタじゃないか。こんどは何処の新造が八を口説いたんだ」
「そんな気楽な話じゃありませんよ。三河町の吉田屋彦七――親分も御存じでしょう」
「うん、知っているとも、たいそうな分限だということだ。それがどうした」
「三河町の半分は持っているだろうという大地主ですよ。その吉田屋の総領の彦次郎という好い息子が癆症で死んだのは去年の暮だ――もう半歳になりますね」
 障子の外の清々しい青葉を眺めながら、八五郎は不器用な指などを折ります。
「それがどうした、化けてでも出たか」
「そんな事なら驚きゃしませんがね。町内の評判息子で、孔子様の申し子のような若旦那が死んだ後へ、言い交したという、若い女が乗込んで来たとしたら、どんなもんです。え? 親分」
「あ、乗出しやがったな八、まず涎でも拭きなよ。お前が死んだって、乗り込んで行く女なんかありゃしないよ。第一身上が違う、三河町の吉田屋へ転がり込めば、相手が仏様になっていても、まさか唯じゃ投り出されない――まず欲得ずくだろうな」
「誰でも一応はそう思うでしょう。ところが大違いなんで」
「どこが違うんだ」
「女が泣きながら言うんだそうで――身上に眼が昏んだと思われちゃ女の一分が立たないから、若旦那が死んだと聴いてから、泣きの涙で半歳我慢したが――」
「女にもその一分なんてものがあるのかえ」
「まア、聴いて下さいよ親分。その女が言うには、若旦那の位牌を拝まして頂いて、大ぴらに墓詣りが出来れば、その上の望みはない、私は一生尼姿で暮らしますから、お長屋の隅でも物置でも貸して下さい、身過ぎ世過ぎは托鉢をして人様の門に立っても、御迷惑はおかけいたしません――と」
「泣くなよ、八」
「若旦那と言い交した証拠はこれこれと、持って来た品々は、若旦那から貰ったという髪の物から身の廻りの品々、それに若旦那から送られた恋文が、なんと四十八本」
「恐ろしく書いたね」
「身体も心も弱かった若旦那が、両親に隠れて言い交した女だ。滅多に逢う瀬もなかったことだろうし、いつ親たちの許しを受けて、家へ引取れることか、その当てもなかった」
「素人じゃないのか」
「去年の川開きの晩、友達に誘われて、始めて逢ったという、水茶屋の女ですよ」
「それはまた変っているね」
 大家の若旦那の相手なら、入山形に二つ星の太夫でも不…

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