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うき草
うきくさ
作品ID58232
著者林 芙美子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「林芙美子全集 第五巻」 文泉堂出版
1977(昭和52)年4月20日
入力者しんじ
校正者阿部哲也
公開 / 更新2018-06-28 / 2018-05-27
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その村には遊んでゐる女が二人ゐた。一人はほんの少しばかり氣がふれてゐるさえといふ女で、三年ほど前、北支那へ行つてゐて、去年の夏、何の前ぶれもなくひよつこり村へかへつてきた。
 さえの家は炭燒きをしてゐたのだけれど、父親はもうずつと以前に亡くなり、たつた一人の兄は二度も兵隊にとられて、その二度目の戰場生活はもう三年ばかりになり、何でもビルマの方へ行つてゐるらしいといふ話であつた。――さえの家庭は母親のしもと、兄嫁のすぎと、その子の三郎といふ九つになる息子と七つになるいまといふ娘との四人暮しである。男手がないので炭燒きの仕事ももう四五年も休んでゐて、さえの母たちは少しばかりかひこをかふことと、近所の温泉旅館へ手傳ひにゆくこと位で暮しをたててゐた。この家の持ちものといつては、少しばかりの畑地と、古ぼけた草屋根の家があるきり。そこへ氣の狂つたさえが戻つて來たので、急に家の中は前よりもいつそう暮しにくくなり、家のなかはじめじめとしてぐちが多くなつた。
 さえは支那へ行く前は近所の温泉旅館の女中をしてゐたのだけれども、北京で宿屋をしてゐるといふふれこみで、一ヶ月ほど皮膚病をなほしに來てゐた男と出來てしまひ、誰も知らない間に、さえはその男と北京へ行つてしまつた。さえがゐなくなつた當座は、村の誰彼もしばらくさえの風評ばなしをしてゐたのだけれども、いつの間にかさえの話も消えるやうに忘れられてゐたのだ。
 そのころ、この山峽六十戸ばかりの小さい村のなかにも、滿洲移民の話が華やかに持ちこまれてゐた折なので、血氣にはやる若い男や、小作ばかりして生涯を過してきた土地のない老人達まで滿洲行きをぼつぼつ志望してゐて、この村からももう三家族ほどは家や畑を賣つて出掛けてゆくものがあつた。拓務省あたりの宣傳も利いたとみえて、土地のないものはなほさら眞面目に滿洲へ渡つてゆくことを考へてゐたのである。――そのくせ、村の人達は小さい寒村だけれども自分の村が何處よりも好きであつた。よそのひとは、この村のことを半日村といつた。夏のさかりでも半日しか陽が射さない暗い山峽の村であつたから。何しろ東南に小さい山がせまつてゐて、何のことはない雛段の途中に長くのびたやうな村であつた。
 村のうしろを河が流れてゐたけれど、この河は大雨でも降ると隣村へ行く橋を流してしまふほどの荒い河である。山峽の上流に近い河なので、水は清麗で、夏になると河鹿が鳴いたし、河沿ひの藪には大きい螢が澤山飛んでゐた。――さえは暑いさかりに戻つてきたのだけれど、晝日中は色のあせた日傘をさして浴衣姿でこの河沿ひの廣い河原で呆んやり水の流れをみてゐた。人並以上に背が高いので遠くから見ると何となく美人にはみえたけれども、近くで見ると、顏は青黒くて、眼のいろにつやがなかつた。二十六だといふことだけれど、年よりは老けてみえる。
 もうひとりの女は蝶子…

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