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風媒
ふうばい
作品ID58235
著者林 芙美子
文字遣い旧字旧仮名
底本 「林芙美子全集 第五巻」 文泉堂出版
1977(昭和52)年4月20日
入力者しんじ
校正者阿部哲也
公開 / 更新2019-06-28 / 2019-05-28
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 早苗はまるでデパートで買物でもするひとのやうに産院をまはつては、赤ん坊を貰ひに歩いてゐた。色が白くて、血統がよくて、器量のいゝ、そして健康な女の子をほしいと思つてゐた。
 今日も、ごう/\と寒い風の吹くなかをバスにゆられながら、早苗は三條までやつて來て、疏水の近くにある梅園産院と云ふのへ寄つてみた。底冷えのする寒い路地の中を小走りに歩きながら、早苗はいろ/\な胸算用をしてゐるのである。
 産院は格子のはまつた暗い家で、陰氣臭いかまへであつたが、格子を開けると、右手の廊下の向うには、思ひがけない小ざつぱりした茶庭があつた。背の高い小笹に白い手拭がさげてあつて、くつきりと清潔さうで、いままでに見たどの産院よりも豐かな感じである。早苗は、何となくよい子供がさづかりさうな、そんなふくふくした、氣持ちになるのであつた。
 案内を乞ふと、前だれがけの日本髮の娘が出て來て、今まで水仕事をしてゐたのか、赤く濡れた手を敷居ぎはへついて「おこしやす」と云つた。
「あのう、昨日、新聞でみまして上りましたのどすけど……」
 早苗はシールの肩掛をはづして笑顏でたづねた。娘は片笑窪をみせて一寸おじぎをするとそのまゝ奧へ引つこんで行つてしまつたけれども、暫くして出て來ると前よりも丁寧に膝をついた。
「どうぞお上りやして……」
 早苗はさう云はれると吻つとした氣持ちで、土間の片隅にきちんと下駄をそろへてぬぎ、廣い敷臺の上へ上つた。
 通された部屋は庭向きの六疊間で、狹い床の間には如意と書いた古い軸がさがつてゐた。
 天井が低くて、廂が深く突き出てゐるせゐか部屋の中が暗かつた。小さい庭の景色は、まるで繪をみてゐるやうに明るくて、何となく落ちついた感じである。庭の向うには、新しい矢來垣がめぐらしてあり、その向うは隣家の勝手にでもなつてゐるのか、水をつかふ音がしきりにしてゐた。
 暫く呆んやりして庭の景色を眺めてゐると、さつきの娘が茶を運んで來て、すぐその後から、背のひくい丸々と肥えた中年の女が賑やかに兩袖をぱた/\させて這入つて來た。
「まア、お待たせいたしまして、昨日から今日にかけて、澤山おひとが見えましてなア、あれこれとたてこんでゐまして、ほんとに、えらいことお待たせいたしました」
 顎が二重にくびれてゐて、胸も腹もずんどうにつきでてゐる、まるでくゝり枕のやうな胴體を、卓子へ凭れるやうにして女は坐つた。この、人のよささうな女主人を眺め、早苗はまるで昔からの親しい人にでも逢ふやうな氣持ちで氣輕にあいさつをのべた。
「もう、お話はおきまりになりましたのどすか?」
「いゝえ、あなた、帶に短し襷に長しで、まだはつきりしたことはきまつてはをりませんけども、まア、お一人二人、心當りだけの處でして……」
「本當に澤山の人なんでございませうね。――私も、もう駄目ぢやないかと思ひましたのどすけど、物…

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