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地蔵尊
じぞうそん
作品ID58307
著者徳冨 蘆花
文字遣い新字新仮名
底本 「仏教の名随筆 2」 国書刊行会
2006(平成18)年7月10日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-09-18 / 2018-08-28
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 地蔵様が欲しいと云ったら、甲州街道の植木なぞ扱う男が、荷車にのせて来て庭の三本松の蔭に南向きに据えてくれた。八王子の在、高尾山下浅川附近の古い由緒ある農家の墓地から買って来た六地蔵の一体だと云う。眼を半眼に開いて、合掌してござる。近頃出来の頭の小さい軽薄な地蔵に比すれば、頭が余程大きく、曲眉豊頬ゆったりとした柔和の相好、少しも近代生活の齷齪したさまがなく、大分ふるいものと見えて日苔が真白について居る。惜しいことには、鼻の一部と唇の一部にホンの少しばかり欠けがあるが、情の中に何処か可笑味を添えて、却て趣をなすと云わば云われる。台石の横側に、○永四歳(丁亥)十月二日と彫ってある。最初一瞥して寛永と見たが、見直すと寿永に見えた。寿永では古い、平家没落の頃だ。寿永だ、寿永だ、寿永にして措け、と寿永で納まって居ると、ある時好古癖の甥が来て寿永じゃありません宝永ですと云うた。云われて見ると成程宝永だ。暦を繰ると、干支も合って居る。そこで地蔵様の年齢も五百年あまり若くなった。地蔵様は若くなって嬉しいとも云わず、古さが減っていやとも云わず、ゆったりした頬に愛嬌を湛えて、気永に合掌してござる。宝永四年と云えば、富士が大暴れに暴れて、宝永山が一夜に富士の横腹を蹴破って跳り出た年である。富士から八王子在の高尾までは、直径にして十里足らず。荒れ山が噴き飛ばす灰を定めて地蔵様は被られたことであろう。如何でした、その時の御感想は? 滅却心頭火亦涼と澄ましてお出でしたか? 何と云うても返事もせず、雨が降っても、日が照りつけても、昼でも、夜でも、黙ってただ合掌してござる。時々は馬鹿にした小鳥が白い糞をしかける。いたずらな蜘めが糸で頸をしめる。時々は家の主が汗臭い帽子を裏返しにかぶせて日に曝らす。地蔵様は忍辱の笑貌を少しも崩さず、堅固に合掌してござる。地蔵様を持て来た時植木屋が石の香炉を持て来て前に据えてくれた。朝々それに清水を湛えて置く。近在を駈け廻って帰ったデカやピンが喘ぎ喘ぎ来ては、焦れた舌で大きな音をさせてその水を飲む。雀や四十雀や頬白が時々来ては、あたりを覗って香炉の水にぽちゃぽちゃ行水をやる。時々は家の主も瓜の種なぞ浸して置く。散り松葉が沈み、蟻や螟虫が溺死して居ることもある。尺に五寸の大海に鱗々の波が立ったり、青空や白雲が心長閑に浮いて居る日もある。地蔵様は何時も笑顔で、何時も黙って、何時も合掌してござる。
 地蔵様の近くに、若い三本松と相対して、株立ちの若い山もみじがある。春夏は緑、秋は黄と紅の蓋をさし翳す。家の主はこの山もみじの蔭に椅子テーブルを置いて時々読んだり書いたり、そうして地蔵様を眺めたりする。彼の父方の叔母は、故郷の真宗の寺の住持の妻になって、つい去年まで生きて居たが、彼は儒教実学の家に育って、仏教には遠かった。唯乳母が居て、地獄、極楽、剣の山、三途の川、賽の河…

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