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仏像とパゴダ
ぶつぞうとパゴダ
作品ID58310
著者高見 順
文字遣い新字新仮名
底本 「仏教の名随筆 2」 国書刊行会
2006(平成18)年7月10日
初出「共榮圈文化 ビルマ」陸軍美術協會出版部、1944(昭和19)年2月15日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-08-17 / 2018-09-24
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 たとえば私と一緒にビルマへ行った人が、ビルマの仏像のひどさに就いて書いていた。ビルマは有名な仏教国で仏像が至る所にあるのだが、その至る所にある仏像のひどさ、――児戯に類するという言葉があるがその形容が如何にもぴったりと当て嵌ると思われるその彫刻のひどさ。私たちが日本にあって拝む仏像も皆立派なすぐれたものばかりという訳ではないが、それにしても、私の家の仏壇にある仏像にしても、それは決して彫刻的に立派なものだとは言えないけれど何かしら敬虔な気持にさせられるそうした彫刻であることは慥かだ。ところが向うの仏像を拝みに行くと、そうした敬虔の想いを一向におこさせない、というより、こうしたものを拝まねばならぬのか、こうしたものをビルマの人々は拝んでいるのかと何か情けないような気さえおこさせられる、なんとも名状し難い彫刻なのであった。日本だと仏堂に釈迦像は一体ときまっているがビルマの仏堂には大小さまざまの仏像がいっぱい押すな押すなの盛況で並べ立ててある。ビルマ人が次から次へと献納するからであるが、その無数とも言う可き仏像がどれもこれも味気ない彫刻である。
 こういう所に見られる文化的低調は、明治時代的な水準というものと違う、もっとも根本的なものとせねばならないようだ。伊原宇三郎氏がビルマに見えた時、氏もまた私にビルマに於ける造形美術の貧しさに一種の幻滅を感じたと言っていた。
 戦争直後の危険の多いビルマに昭南からわざわざやって来た伊原氏は仏教国である以上は仏教芸術の立派なものが存在するに違いないという憧憬を持って来たのだが、ジャワのボルボドールなどを見た眼には幻滅の他は無かったと語っていた。パゴダはどうでしょうかと私は聞いて見た。ビルマはパゴダの国と言われる位、有名なあのパゴダ、金箔を塗りつめたその円錐形の仏塔は烈日の下に燦然と輝いて、見事である。その、鐘を伏せたような線が、素人の私にはいわばちょっと妙味があると思われた。だが伊原氏は、極端に言えばあれは丁度子供などがものを高く築き上げようとする時に考えるそうした素朴な形で、そういう点素人的なものであってそこに造型的な美的な工夫は無い、そうしたたちのものだと言われた。言われて、成程と私も思った。
 このパゴダというのは英語であって、日本の五重塔なども日本紹介の英文書には矢張りパゴダと訳してある。ビルマに於けるパゴダのその円錐形の形式は印度の方から伝わったもので、(托鉢の鉢を伏せた形から来ているという。よってその部分を「覆鉢」という。)セイロンあたりではダゴバと呼ばれている。サンスクリットのダーツ・ガルバ、納骨堂、――これが訛ってダゴバと成り、ダゴバが更に訛ってパゴダと成ったのであろうと言われている。このパゴダ、――ビルマのパゴダには二つの種類があって、一つはダーツ・ガルバ即ち納骨堂、舎利塔で、前述の鐘を伏せたような形のもの…

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